本名Jason William MizellことJam Master Jayは1965年1月21日、ニューヨーク市ブルックリンに生まれた。10歳頃に家族とともにクイーンズのホリス地区へ移り住み、13歳の時には「Jazzy Jase」を名乗ってDJ活動を開始する。1982年、地元ホリスの公園でJoseph “Run” SimmonsとDarryl “D.M.C.” McDanielsと出会い、ターンテーブルとスクラッチ、そして楽曲の多くのビートを手がけるDJ/プロデューサーとしてRun-DMCに加入した。

Run-DMCは”Rock Box”のミュージックビデオでMTVのヘビーローテーションに入った最初のHip-Hopグループとなり、Hip-Hopとして初期にグラミー賞ノミネートを受けたグループの一つでもある。1986年にAerosmithと共演した”Walk This Way”はBillboard Hot 100で最高4位を記録し、Hip-Hopをロックやメインストリームのラジオへと橋渡しする決定的な瞬間となった。この曲はAerosmithのキャリアを復活させたことでも知られている。英ガーディアン紙は、RunとDMCがラップするサウンドのほとんどすべてをJam Master Jayが作り上げたと評しており、硬質でミニマルな彼のスクラッチ技術はHip-HopにおけるDJの表現を大きく前進させた。

2009年、Run-DMCは2007年のGrandmaster Flash and the Furious Fiveに続き、史上2組目のHip-Hopアクトとしてロックの殿堂入りを果たしている。1989年に自身のレーベルJMJ Recordsを設立し、Onyxやデビュー前の50 Centを見出し育てたことも、後進の育成者としての彼の功績として特筆される。

2002年10月30日、Jam Master Jayはクイーンズ・ホリス地区(ジャマイカ地区との境界付近)にあるMerrick Boulevard沿いの自身のレコーディングスタジオで銃撃を受け死亡した。享年37。事件は長年未解決のまま推移していたが、約21年後の2023年にKarl “Little D”ことKarl Jordan Jr.(Jam Master Jayの名付け子)とRonald “Tinard”Washingtonの2人が逮捕・起訴され、2024年2月27日、麻薬密売に絡む殺人罪で有罪判決を受けた。事件はメリーランド州での20万ドル規模のコカイン取引を巡るトラブルが発端とされている。

なおJordanの有罪判決については、検察側が動機を十分に証明できなかったとして2025年12月19日に裁判官により取り消されている一方、Washingtonの有罪判決は維持されている。事件の関与が疑われていた3人目の容疑者Jay Bryant(現場でドアの鍵を開け、犯人を手引きしたとされる人物)は2026年4月27日、従犯としての殺人罪を含む複数の罪について有罪を認めた。長年にわたり真相が明らかにならなかったこの事件は、今なお全容解明が続いている。

2026年で没後24年。Hip-Hopの黎明期を支えたDJ/プロデューサーとして、Jam Master Jayが遺したサウンドは今もシーンの礎であり続けている。

▶︎ “Walk This Way”(feat. Aerosmith) 1986年にリリースされたこの曲は、ロックとラップを融合させた画期的なクロスオーバーヒットとして、Hip-Hopをメインストリームへと押し上げた記念碑的な一曲。Billboard Hot 100で最高4位を記録し、Aerosmithのキャリア復活のきっかけともなった。

▶︎ “It’s Tricky” 1986年の『Raising Hell』に収録されたこの曲は、Jam Master Jayのスクラッチ技術とグループのロック/ラップ融合サウンドを存分に発揮した一曲。MTV時代を代表するRun-DMCのヒット曲の一つとなっている。