October 27, 2022

1971年10月20日、本名Calvin Cordozar Broadus Jr.ことSnoop Doggはアメリカ・カリフォルニア州ロングビーチに生まれた。Dr. Dreに見出されたのは1992年のこと。Dreのソロ曲”Deep Cover”への客演を経て、同年リリースされたDr. Dreの金字塔的アルバム『The Chronic』への参加でその名は一気に全米に知れ渡ることになる。以降、Death Row Recordsを拠点に、独特の間延びしたフロウとクールな存在感でHip-Hopシーンの顔となっていった。

Snoop Doggの偉大さ

1993年にリリースされたデビューアルバム『Doggystyle』はBillboard 200初登場1位を獲得し、デビュー作としては当時史上最速のセールスを記録。Dr. Dreと共にG-funkサウンドを確立し、West Coast Hip-Hopの黄金期を象徴する存在となった。

Snoop Doggの真の偉大さは、その驚異的な息の長さにもある。デビューから40年以上が経った今もシーンの第一線であり続け、2022年のスーパーボウルLVIハーフタイムショーではDr. Dre、Eminem、Kendrick Lamar、Mary J. Blige、50 Centらと共演し、West Coast Hip-Hopの歴史そのものをステージに再現してみせた。2024年のパリ・オリンピックでは聖火リレーの走者やNBC放送のリポーターを務めるなど、音楽の枠を超えた国民的な存在としての地位を確立している。2022年にはDeath Row Recordsを自ら買収し、かつて所属していたレーベルのオーナーとなったことも大きな話題となった。大麻ブランドや料理番組など多方面での事業展開も、その懐の深いキャラクターを物語っている。

2026年で生誕55年を迎えるSnoop Dogg。West Coast Hip-Hopの象徴として、そして誰からも愛される国民的アイコンとして、その存在感は今も色褪せていない。

代表作 Music Video

▶︎ “Gin and Juice” 『Doggystyle』からのシングルで、レイドバックしたG-funkサウンドとSnoop Dogg独特の間延びしたフロウが存分に発揮された一曲。彼のキャリアを象徴するパーティーアンセムとして、今も世代を超えて愛されている。

▶︎ “Drop It Like It’s Hot”(feat. Pharrell Williams) Neptunesプロデュースによるミニマルなビートと舌打ちのような音が印象的なこの曲は、2004年にBillboard Hot 100で1位を獲得。デビューから10年以上を経てなお第一線であり続けることを証明した、Snoop Doggのキャリア後期を代表するヒット曲だ。

1978年10月20日、本名・古川竜一ことTOKONA-Xは神奈川県横浜市に生まれた。後に家族とともに愛知県常滑市へ移り住み、そこでヒップホップと出会う。芸名の「TOKONA」は「常滑」に由来する。1996年、17歳の若さで東京の伝説的フェス「さんピンCAMP」にDJ刃頭とのデュオでオープニングアクトとして出演。名古屋への強い誇りを込めたリリックは、当初は東京中心だったシーンから反発を受けたという。DJ刃頭とのユニットILLMARIACHIとして1997年に発表したデビューアルバム『THA MASTA BLUSTA』は、後にP-VINEから「金字塔的な作品」と評される一枚となった。EQUAL、AKIRAらとのM.O.S.A.D.としても活動し、2004年にはDef Jam Japanから初のソロアルバム『トウカイ×テイオー』をリリースしている。TOKONA-Xは2004年11月22日、26歳の若さで急逝した。

TOKONA-Xの最大の武器は、名古屋弁を大胆に取り入れた圧の強いフロウと、パーティー感あふれる過激な表現だった。当時のシーンの主流だった内省的なリリシズムとは一線を画すそのスタイルは唯一無二と評され、名古屋という一地方都市のシーンを全国区に押し上げた最大の功労者として今なお語り継がれている。2002年、札幌のTHA BLUE HERBとの間で巻き起こった一件(タトゥーの意味を巡る誤解から生まれたディス曲”EQUIS.EX.X”がきっかけとなった)は、結果的に彼を全国的な知名度へと押し上げる転機となった。

2004年のソロアルバム収録曲”知らざあ言って聞かせやSHOW”は、今も彼を象徴する代表曲として愛され続けている。没後は後輩DJ RYOWによるトリビュート曲”WHO ARE U?”が世代を超えて幾度もリメイクされ(2009年、2011年、2015年には般若も参加、2018年、2022年と続く)、2025年にはドキュメンタリー『KING OF BULLSH*T -THE SAGA OF TOKONA-X-』も制作されるなど、そのレジェンドとしての存在感は今も色褪せていない。

2026年で生誕48年を迎えるTOKONA-X。早すぎる旅立ちから20年以上が経った今も、名古屋のヒップホップシーンの象徴であり続けている。

代表作 Music Video

▶︎ “知らざあ言って聞かせやSHOW” 2004年のソロアルバム『トウカイ×テイオー』に収録されたこの曲は、TOKONA-Xの代名詞とも言える一曲。独特の名古屋弁フロウと圧倒的な存在感が凝縮された代表曲だ。

▶︎ “WHO ARE U?”(DJ RYOW feat. TOKONA-X) 後輩DJ RYOWが手がけたトリビュート曲で、その後10年以上にわたり世代の異なるMCたちを迎えて幾度もリメイクされてきた異例の一曲。TOKONA-Xが日本のヒップホップシーンに遺した影響の大きさを物語っている。

1978年10月18日、本名・武田嘉穂ことラッパー般若は東京都世田谷区三軒茶屋に生まれた。高校時代、同級生のRUMIから韻の踏み方を教わり、わずか3カ月後にはフリースタイルのステージに立っていたという。三軒茶屋の愚連隊的なストリートカルチャーから生まれた8人組クルー、妄走族の一員として1998年から活動を開始し、2003年からはソロ活動も並行。2010年から2020年まで昭和レコードに所属し、2021年には自身のレーベル「やっちゃったエンタープライズ」を設立した。

般若が「ヒップホップ界随一の異端児」と呼ばれる所以は、自身の苦難を一切飾らずに描き出すそのリリックにある。母子家庭で育った幼少期の貧困、小学校時代に受けた壮絶ないじめ(2018年の著書『何者でもない』で綴られている)、そして「バイトじゃねえ俺はヒップホップに就職」といった生き様そのものを言葉にした率直さは、多くのリスナーの共感を集めてきた。

2016年からはテレビ朝日『フリースタイルダンジョン』の初代ラスボスを約3年半にわたって務め、番組を通じてMCバトルや日本語ラップに触れた新しい世代のファンを大きく獲得した。2019年1月11日には自身初となる日本武道館ワンマンライブ「おはよう武道館」を開催し、約40曲を披露。これはキャリアの集大成として今も語り継がれる一夜となった。『おはよう日本』『根こそぎ』『内部告発』といったアルバム、そして故郷三軒茶屋への想いを綴った”地元の唄”など、生活と地続きの言葉で紡がれた楽曲群は世代を超えて聴き継がれている。

2026年で生誕48年を迎える般若。飾らない言葉で生きることそのものをラップし続けるその姿勢は、今も多くのリスナーの心を掴んで離さない。

代表作 Music Video

▶︎ “やってもねえのに” 2025年のアルバム『ラストアンサー』のリード曲で、NAOtheLAIZAがプロデュースを手がけた一曲。挑戦する前から諦めてしまう人々への応援歌として、デビューから四半世紀近くを経てなお進化を続ける般若の現在地を示す楽曲だ。

▶︎ “地元の唄” 故郷である世田谷区三軒茶屋への想いを綴ったこの曲は、般若の楽曲の中でもとりわけ愛され続けている一曲。2025年には地元とのコラボ企画にも使用され、今なお色褪せない人気を証明した。

1972年10月17日、本名Marshall Bruce Mathers IIIことEminemはアメリカ・ミズーリ州セントジョセフに生まれた。父親は彼が生後18カ月の頃に家族のもとを去り、母親のもとで貧しい暮らしを送りながらミズーリとミシガンの間を転々とする幼少期を過ごす。12歳の時にミシガン州デトロイトの労働者階級が暮らす地区に落ち着き、14歳から「M&M」を名乗ってラップを始めた。中学を9年生で中退した後は、デトロイトのHip-Hop Shopで開催されるフリースタイルバトルやオープンマイクに通い詰め、独自のスキルを磨き上げていった。

Eminemの名を不動のものにしたのは、2000年の『The Marshall Mathers LP』だ。発売初週だけで176万枚を売り上げるモンスターヒットとなり、続く2002年の『The Eminem Show』はその年、全世界でもっとも売れたアルバムとなった(世界累計約2700万枚)。デビュー作『The Slim Shady LP』から一貫して見せてきた緻密な内部韻とめまぐるしいワードプレイ、そして自身の生い立ちや薬物依存、家族関係を赤裸々に綴るリリシズムは、Hip-Hopの表現の幅そのものを押し広げた。

映画『8 Mile』(2002年)の主題歌”Lose Yourself”では、Hip-Hop楽曲として史上初めてアカデミー賞歌曲賞を受賞。授賞式には出席せず自宅で就寝していたというエピソードも有名だ。キャリアを通じてグラミー賞を15回受賞し、全世界で2億2000万枚以上のセールスを記録する史上もっとも売れたラッパーとなった。Billboard 200で10作連続1位という記録を樹立し、RIAAダイヤモンド認定を7回獲得。白人ラッパーとして初めて主流での商業的・批評的成功を収めた存在としても、Hip-Hopの裾野を広げる大きな役割を果たした。2022年にはロックの殿堂入りも果たしている。

2026年で生誕54年を迎えるEminem。その言葉の密度と技術力は、今なお後続のラッパーたちの目標であり続けている。

代表作 Music Video

▶︎ “Lose Yourself” 映画『8 Mile』のサウンドトラックとして2002年にリリースされたこの曲は、一世一代のチャンスを掴むというテーマを緊迫感あふれるリリックで描いた代表曲。Hip-Hop楽曲として初めてアカデミー賞歌曲賞を受賞し、グラミー賞も2部門で獲得している。

▶︎ “Without Me” 『The Eminem Show』のリードシングルとして2002年にリリースされたこの曲は、BatmanとRobinのコスチュームを纏うなどユーモラスな演出と、検閲や当時のポップカルチャーへの痛烈な皮肉が同居する一曲。Slim Shadyというもう一つの人格の魅力を存分に発揮し、Eminemのクロスオーバーヒットを象徴する楽曲となった。

2002年10月17日、K DUB SHINE、Zeebra、DJ OASISによるグループ、キングギドラはDefstar Recordsから2作目のスタジオアルバム『最終兵器』をリリースした。1993年、K DUB SHINEが滞在先のアメリカ・オークランドでZeebraに日本語ラップの可能性を説いたことから結成が始まり、Zeebraの幼馴染だったDJ OASISが加入。1995年のデビューアルバム『空からの力』はデモテープの段階からシーンに衝撃を与え(RHYMESTERのQが「デモを100回聴いた」という逸話も残る)、小林よしのり『ゴーマニズム宣言』からの影響のもと日本語ラップに初めて本格的な社会性・政治性を持ち込んだ、日本のヒップホップ史における金字塔的作品として今も語り継がれている。しかし1996年、Zeebraと K DUB SHINEの方向性の相違やDJ OASISのモチベーション低下から活動を休止。メンバーそれぞれがソロ活動へと軸足を移す中、2002年4月5日の渋谷HARLEMでの復活ライブを皮切りに、「1年限定」の再結成としてこのアルバムがリリースされた。

Zeebra自身、本作を「デビュー作の完全版」と位置づけている。デビュー当時は3人それぞれにとって唯一の表現の場だったグループ活動ゆえの衝突があったが、数年間のソロ活動を経て初めて「100%グループ作品として向き合えた」といい、長年目指してきた「日本版Public Enemy」をようやく実現できた作品だと語っている。制作当時、K DUB SHINEはソロミニアルバム『SAVE THE CHILDREN』(2001年)や映画『凶気の桜』の劇伴を、Zeebraは日本語ラップ屈指の商業的成功を、DJ OASISはソロアルバム『東京砂漠』(2001年)をそれぞれ手がけており、三者三様の充実期を経ての再集結だった。

オリコンチャート初登場3位を記録するなど、当時のHip-Hopグループとしては異例の商業的成功を収めた本作は、Zeebra自身「超問題作」と呼ぶ通り、大きな論争も呼んだ。収録曲”公開処刑”(feat. BOY-KEN)ではDragon Ashの古舘祐太郎を名指しで批判し、K DUB SHINEも「ポップ」に寄ったラッパーたちへの苦言を展開。RIP SLYMEが答え歌的な楽曲で応じたとも言われ、当時の「リアルかポップか」を巡る日本語ラップシーンの論争を象徴する一枚となった。2022年にはリード曲”UNSTOPPABLE”が音楽番組「THE FIRST TAKE」でワンテイク披露され、新たな世代のリスナーにも改めてその存在感を知らしめている。

2026年で、『最終兵器』のリリースから24周年を迎える。

▶︎ “UNSTOPPABLE” 本作のリードシングルの一つで、3人それぞれの個性的なフロウが並び立つポッセカット的な代表曲。

2022年にはTHE FIRST TAKEでのワンテイク披露()が話題を呼び、グループの本格復活のきっかけともなった。

▶︎ “F.F.B.” もう一つのリードシングルで、再結成の緊張感をそのまま音に落とし込んだかのようなハードな一曲。当時のシーンを賑わせた「リアル対ポップ」論争の空気を色濃く反映した楽曲として知られている。