2002年10月17日、K DUB SHINE、Zeebra、DJ OASISによるグループ、キングギドラはDefstar Recordsから2作目のスタジオアルバム『最終兵器』をリリースした。1993年、K DUB SHINEが滞在先のアメリカ・オークランドでZeebraに日本語ラップの可能性を説いたことから結成が始まり、Zeebraの幼馴染だったDJ OASISが加入。1995年のデビューアルバム『空からの力』はデモテープの段階からシーンに衝撃を与え(RHYMESTERのQが「デモを100回聴いた」という逸話も残る)、小林よしのり『ゴーマニズム宣言』からの影響のもと日本語ラップに初めて本格的な社会性・政治性を持ち込んだ、日本のヒップホップ史における金字塔的作品として今も語り継がれている。しかし1996年、Zeebraと K DUB SHINEの方向性の相違やDJ OASISのモチベーション低下から活動を休止。メンバーそれぞれがソロ活動へと軸足を移す中、2002年4月5日の渋谷HARLEMでの復活ライブを皮切りに、「1年限定」の再結成としてこのアルバムがリリースされた。
Zeebra自身、本作を「デビュー作の完全版」と位置づけている。デビュー当時は3人それぞれにとって唯一の表現の場だったグループ活動ゆえの衝突があったが、数年間のソロ活動を経て初めて「100%グループ作品として向き合えた」といい、長年目指してきた「日本版Public Enemy」をようやく実現できた作品だと語っている。制作当時、K DUB SHINEはソロミニアルバム『SAVE THE CHILDREN』(2001年)や映画『凶気の桜』の劇伴を、Zeebraは日本語ラップ屈指の商業的成功を、DJ OASISはソロアルバム『東京砂漠』(2001年)をそれぞれ手がけており、三者三様の充実期を経ての再集結だった。
オリコンチャート初登場3位を記録するなど、当時のHip-Hopグループとしては異例の商業的成功を収めた本作は、Zeebra自身「超問題作」と呼ぶ通り、大きな論争も呼んだ。収録曲”公開処刑”(feat. BOY-KEN)ではDragon Ashの古舘祐太郎を名指しで批判し、K DUB SHINEも「ポップ」に寄ったラッパーたちへの苦言を展開。RIP SLYMEが答え歌的な楽曲で応じたとも言われ、当時の「リアルかポップか」を巡る日本語ラップシーンの論争を象徴する一枚となった。2022年にはリード曲”UNSTOPPABLE”が音楽番組「THE FIRST TAKE」でワンテイク披露され、新たな世代のリスナーにも改めてその存在感を知らしめている。
2026年で、『最終兵器』のリリースから24周年を迎える。
▶︎ “UNSTOPPABLE” 本作のリードシングルの一つで、3人それぞれの個性的なフロウが並び立つポッセカット的な代表曲。
2022年にはTHE FIRST TAKEでのワンテイク披露()が話題を呼び、グループの本格復活のきっかけともなった。
▶︎ “F.F.B.” もう一つのリードシングルで、再結成の緊張感をそのまま音に落とし込んだかのようなハードな一曲。当時のシーンを賑わせた「リアル対ポップ」論争の空気を色濃く反映した楽曲として知られている。