Pharrell

本名Artis Leon Ivey Jr.ことCoolioは1963年8月1日、ペンシルベニア州モネッセンに生まれ、8歳の時に家族とともにカリフォルニア州コンプトンへ移り住んだ。コンプトンのストリートで育った経験は、後の彼の楽曲にも色濃く反映されていくことになる。

Coolioの偉大さ

Coolioの名を世界的なものにしたのは、1995年のシングル”Gangsta’s Paradise”だ。映画『Dangerous Minds』の主題歌として制作されたこの曲は、Stevie Wonderの”Pastime Paradise”をサンプリングした荘厳なトラックに乗せて、ストリートでの暴力や絶望を描き、グラミー賞Best Rap Solo Performanceを受賞。Hip-Hopをそれまで縁遠かった層のリスナーにまで届けた、ジャンルの転換点となる楽曲として高く評価されている。ミュージックビデオは公開から数十年を経てYouTubeで20億回再生を突破するなど、時代を超えて愛され続けている。

Coolioはキャリアを通じて9枚のアルバムをリリースし、特に初期3作は商業的にも大きな成功を収めた。全米での総売上は480万枚に達し、”Fantastic Voyage”をはじめとする明るくキャッチーな楽曲群でも幅広い人気を獲得。シリアスなメッセージ性とポップな親しみやすさを両立させる稀有なバランス感覚が、彼の音楽の大きな魅力だった。

2022年9月28日、Coolioはロサンゼルスの友人宅の浴室で倒れているのが発見され、その場で死亡が確認された。享年59。ロサンゼルス郡検死局は、フェンタニル、ヘロイン、メタンフェタミンの複合摂取による事故死と結論づけ、心筋症や慢性喘息、長年の喫煙習慣も影響した要因として挙げられている。

2026年で没後4年。”Gangsta’s Paradise”に代表される彼の楽曲は、世代を超えて今も広く聴かれ続けている。

▶︎ “Gangsta’s Paradise”(feat. L.V.) 映画『Dangerous Minds』の主題歌として制作されたこの曲は、Stevie Wonderの”Pastime Paradise”をサンプリングした重厚なトラックが印象的な一曲。グラミー賞受賞曲として、また社会的メッセージ性を持つHip-Hopの代表曲として、今も世界中で愛され続けている。

▶︎ “Fantastic Voyage” Lakesideの同名曲をサンプリングした、明るくパーティー感あふれる一曲。”Gangsta’s Paradise”とは対照的なポップでキャッチーな側面を見せる楽曲として、Coolioの音楽的な幅の広さを物語っている。

1982年9月27日、本名Dwayne Michael Carter Jr.ことLil Wayneはルイジアナ州ニューオーリンズ、アップタウン地区のホリグローブで生まれた。11歳という若さでCash Money Recordsと契約し、Hot Boy$のメンバーとしてキャリアをスタート。10代のうちから才能を発揮し、以降30年以上にわたってHip-Hopシーンの中心であり続けている。

Lil Wayneを語る上で欠かせないのが、2000年代のミックステープシーンにおける革命的な存在感だ。”Da Drought 3″をはじめとする無数のミックステープを通じて、彼は正規アルバムのリリースサイクルとは異なる形でシーンの評価を勝ち取り、以降のミックステープ文化そのものを作り変えたと評価されている。

そして『Tha Carter』シリーズは彼のキャリアの核だ。特に2008年の『Tha Carter III』は初週100万枚以上を売り上げ、グラミー賞Best Rap Albumを受賞するなど、彼のキャリアの頂点を象徴する作品となった。2012年9月27日には自身の誕生日に、Billboard Hot 100における楽曲登録数でElvis Presleyを抜き、109曲という記録を打ち立てている。

また、2005年に自身のレーベルYoung Money Entertainmentを設立し、Drake、Nicki Minaj、Tygaといった後のスター選手たちを見出したことも、彼の功績として特筆すべき点だ。オートチューンを取り入れた独自のスタイルは、後のtrapサウンドの発展にも大きな影響を与えている。

2026年で44歳を迎えるLil Wayne。ミックステープ王として、そして稀代のヒットメーカーとして、その存在感は今も色褪せていない。

▶︎ “A Milli”2008年の『Tha Carter III』からのシングルで、ミニマルなビートに乗せた即興的でフリーフォームなリリックが高く評価された楽曲。Lil Wayneのラッパーとしての言葉遊びの巧みさを象徴する代表曲の一つとなっている。

▶︎ “Lollipop”故Static Majorをフィーチャーしたこの曲は、オートチューンを大胆に取り入れたサウンドで大ヒットとなり、Billboard Hot 100で1位を獲得。Lil Wayneのメインストリームでのブレイクを決定づけた一曲であり、以降のHip-Hop/R&Bサウンドにも大きな影響を残した。

「業界なんて大嫌いだ。お前らの承認なんていらない」——度重なる炎上と称賛のはざまで、R&Bのスーパースターがついに“悪役”を引き受けると宣言した。

Chris Brownは、もう音楽業界からの承認を求めるつもりはないらしい。自ら“ヴィラン(悪役)”を受け入れる覚悟を決めたようだ。

現地時間9月22日(火)、R&Bのスーパースターである彼はInstagramのストーリーズに長文メッセージを投稿。もはや属していたいとも思わない業界に、愛想よく振る舞う気などさらさらないことをはっきりと示した。

“I’m not your friend, I’m not your buddy. I don’t like majority of you. I don’t want your approval. I hate the music industry. I don’t wanna participate in this circus.”

「俺はお前らの友達でも仲間でもない。お前らの大半のことは好きじゃない。お前らの承認なんていらない。音楽業界なんて大嫌いだ。こんなサーカスに参加したくない」

さらに彼は「謙虚さなんてクソくらえ!俺こそが文句なしのベストだ。俺がキングだ」と言い放ち、最後は「お前らの意見なんてどうでもいい。俺はヴィランになってやる」と締めくくった。

付きまとう過去

“Breezy”ことChris Brownの苛立ちには、長い経緯がある。2009年、当時交際していたRihannaへの暴行事件で重罪の有罪判決を受けて以来、その過去はキャリアを通じて彼に付きまとってきた。その後も法的トラブルや数々の疑惑が浮上するたびに、批判は絶えることがなかった。今年に入ってからは、2023年にロンドンのナイトクラブで男性に暴行した件について有罪を認めており、彼をめぐる厳しい視線に新たな大事件がひとつ加わった形だ。

2009年のRihanna暴行事件とは

2009年2月、Grammy賞授賞式の前夜にChris Brownが当時の恋人Rihannaに暴行を加えた事件。Chris Brownは重罪の暴行罪で有罪を認め、保護観察処分と家庭内暴力のカウンセリング受講などを命じられた。アメリカでは今もDV(ドメスティック・バイオレンス)問題を語る際に必ずといっていいほど引き合いに出される事件で、ヒット曲を出し続ける彼の“才能”と“過去”をどう切り分けるべきかという議論は、15年以上たった現在も決着していない。

“Breezy”はChris Brownの愛称。本人のブランド名やアルバムタイトルにも使われている。

業界の“内側”にいながら

その一方で、Chris Brownは今も音楽業界のど真ん中にいる。Grammy賞には通算26回ノミネートされ、2度受賞。昨年も11:11 (Deluxe)で最優秀R&Bアルバム賞を手にしたばかりだ。

とはいえ、アワードショーとの関係はずっと複雑だった。2022年には、American Music Awards(AMA)で予定されていたMichael Jacksonトリビュートのパフォーマンスが本番直前に中止に。本人いわく「理由は不明」とのことだった。その夜、彼は欠席していたにもかかわらずFavorite Male R&B Artistを受賞したが、受賞が発表されると会場からはブーイングが起こり、プレゼンターのKelly Rowlandが彼を擁護する一幕もあった。

GrammyとAmerican Music Awardsの違い

Grammy賞はレコーディング・アカデミー会員(アーティストや制作者など業界関係者)の投票で決まる、いわば“業界からの評価”。一方American Music Awardsはファン投票が軸となる賞で、人気の指標としての色合いが強い。つまり彼は、ファンからも業界からも一定の評価を受けながら、同時に激しい批判にもさらされ続けてきたことになる。

Kelly RowlandはDestiny’s Childの元メンバー。ブーイングする観客に向かって「静かに」とたしなめ、代理で受賞を発表したことは当時大きな話題となった。

議会からの表彰と、その撤回騒動

最新の騒動はつい数週間前のことだ。9月12日、連邦下院議員のJasmine Crockettとテキサス州議会議員のVenton Jonesが、Chris BrownとUsherが出演したアーリントン公演の場で2人を表彰。「連邦議会議事録(Congressional Record)」への掲載による顕彰と、テキサス州議会の決議を贈った。Crockettはこの機会を、“Black joy(黒人の喜び)”を議会の記録に刻むチャンスだと語っていた。

Congressional Recordによる表彰とは

Congressional Recordはアメリカ連邦議会の公式議事録。議員は本会議での発言や挿入文書(Extension of Remarks)を通じて、特定の人物や団体の功績をたたえる文言を議事録に残すことができる。法的効力はないものの、公的な記録として永久に残る名誉的な顕彰だ。州議会の「決議(resolution)」も同様に、個人を称える目的でよく用いられる。

Black joyは、差別や苦難ばかりが語られがちな黒人の経験に対し、喜びや祝福、文化的な豊かさを肯定的に可視化しようという近年の言葉。アーリントンはテキサス州ダラス近郊の都市で、大規模スタジアムを擁するライブの一大開催地でもある。

しかし、彼の過去を理由に、この表彰はたちまち反発を招いた。

Chris Brownは当初、Crockettに感謝を述べたうえで、彼女が受けている批判について「俺を表彰したことで、あなたがバッシングを受けることになってしまって申し訳ない」と謝罪していた。

ところがほどなくして、Jonesが方針を撤回。自身の選挙区の有権者、黒人女性、そしてDVや性暴力のサバイバーたちに向けて謝罪し、自らの判断が彼らの経験を置き去りにする状況を「助長してしまった」と述べた。これに対しChris Brownは「賞なんて取っておけよ」と応酬。有権者の票を失うのを恐れて表彰から手を引いたのだと、Jonesを非難した。

  • 2009Rihannaへの暴行事件で重罪の有罪判決
  • 2022AMAでのMichael Jacksonトリビュートが直前に中止。欠席のまま受賞し、会場からブーイング
  • 202511:11 (Deluxe)でGrammy最優秀R&Bアルバム賞を受賞
  • 20262023年のロンドンのナイトクラブでの暴行について有罪を認める
  • 2026.09.12アーリントン公演でCrockett議員とJones州議員から表彰。のちにJonesが撤回・謝罪
  • 2026.09.22Instagramで「音楽業界が大嫌いだ」「ヴィランになる」と宣言

“悪役”宣言が意味するもの

こうした流れを踏まえると、もはや業界の承認は求めないという今回の宣言は、キャリアの大半を通じてこじれ続けてきた業界との関係における、さらなるエスカレーションとして読み取れるだろう。

Hip-Hop/R&Bにおける“ヴィラン”という自己演出

アメリカのHip-HopやR&Bでは、世間から嫌われる立場を逆手に取り、「悪役」を自称することで反骨精神や自立を打ち出すスタイルが珍しくない。ただしChris Brownの場合、その“悪役”像は実際の暴力事件と切り離せないため、単なるキャラクター演出として受け取られにくい点が、他のアーティストとは大きく異なる。

1991年9月24日、A Tribe Called Questは自身2作目のスタジオアルバム『The Low End Theory』をリリースした。前作『People’s Instinctive Travels and the Paths of Rhythm』(1990年)でNative Tonguesの一員として注目を集めていた彼らは、本作でジャズとHip-Hopを融合させるという革新的なアプローチに踏み出し、ジャンルの可能性を大きく広げることになる。

制作はマンハッタンのBattery Studiosで行われ、かつてJohn Lennonが使用していたというNeveのミキシングコンソールが用いられた。Q-Tipが中心となってプロダクションを手がけ、Ali Shaheed Muhammadがスクラッチを担当。糖尿病の診断を受け脱退も考えていたPhife Dawgの参加比重を増やすなど、グループ内の結束を高めながら制作が進められた一方で、マネジメント変更を巡ってNative Tongues内やレーベルとの間に緊張も生じていたという。

批評的な評価は非常に高く、The Sourceは殿堂入りクラシックのみに与えられる5マイク評価を授与。NMEは前作からの「飛躍的な進化」と評した。商業的には当初こそBillboard 200で45位デビューと期待を下回ったが、”Check the Rhime””Scenario”などのヒットシングルを経て、1992年にゴールド、1995年にはプラチナ認定を獲得している。

文化的な意義という点でも本作は極めて大きい。ジャズとHip-Hopの融合というスタイルを確立し、以降の世代のアーティストたちに計り知れない影響を与えた。2020年にはRolling Stone誌の「500 Greatest Albums」で43位にランクイン、2022年には米議会図書館のNational Recording Registryにも選出され、その歴史的価値が公式に認められている。

▶︎ “Check the Rhime” Q-TipとPhife Dawgの掛け合いが軽快に響く一曲で、ジャズ由来のベースラインとミニマルなビートが融合したサウンドが特徴。グループのケミストリーが存分に発揮された、アルバムを象徴する楽曲の一つだ。

▶︎ “Scenario” Leaders of the Newschoolのメンバーとして参加した若き日のBusta Rhymesの強烈なヴァースが話題を呼んだ一曲。複数のMCが躍動するクルー感あふれるトラックとして、Hip-Hop史に残るポッセカットの名曲となっている。

Ja Ruleと50 Centの因縁は、20年以上経った今も話題に事欠かない。今回その渦中に名前が挙がったのはFat Joe。Ja Ruleの代表曲「New York」への客演が、当時50 Centを狙ったディスだったのかという長年の疑問に、本人がついに答えた。

Fat JoeはTony YayoとUncle Murdaがホストを務める番組『The Real Report』に出演。その中で、自身のヴァースがG-Unitの創設者である50 Centに向けたディスだったのではないかという憶測について語った。

Tony Yayoは50 Centの幼なじみで、G-Unitの初期メンバー。Uncle MurdaもG-Unitと縁の深いブルックリン出身のラッパーだ。つまりFat Joeは、いわば“50 Cent陣営のホームグラウンド”でこの発言をしたことになる。敵対関係にあった相手側のメディアで誤解を解くという行為自体に、Hip-Hopならではのメッセージ性がある。

「俺が『New York』で50 Centをディスってたのかって聞いてきたやつがいた。答えはノーだ。『Candy Shop』は、俺がScott Storchと一緒に作ったんだ。Lil’ Kimがここに来たら証言してくれるよ。Scott Storchからは20回、30回と電話が来た。『本当にこのビート要らないのか?50 Centが欲しがってるぞ』ってな。俺は『いや、50 Centとは何の問題もない。あいつにやってくれ』って答えたんだ」

Fat Joeの説明によれば、プロデューサーのScott Storchは最終的に50 Centの手に渡ることになるビートを、何度も彼に勧めていたという。Fat Joeはそれを快く譲っており、Ja Ruleとの楽曲制作はあくまで別の話で、50 Centへの敵意は一切なかった──というのが彼の主張だ。

「Candy Shop」(feat. Olivia)は2005年、50 Centのセカンドアルバム『The Massacre』からのシングルで、米Billboard Hot 100で1位を獲得した大ヒット曲。手がけたScott Storchは、2000年代前半〜中盤にDr. Dreの右腕的キーボーディストから一躍トッププロデューサーとなった人物で、Fat Joe「Lean Back」(Terror Squad)なども彼の作品だ。

つまりFat Joeの言い分は「50 Centのキャリア最大級のヒット曲を、自分は“どうぞ”と譲った側だ」というもの。本当に敵対していたなら、そんな真似はしない──というロジックである。

「New York」は2004年、Ja Ruleのアルバム『R.U.L.E.』に収録された楽曲で、Fat JoeとJadakissが客演、プロデュースはCool & Dreが担当した。3人のニューヨークのラッパーがそろった硬派な1曲として今も人気が高いが、当時Ja Ruleは50 Centと激しい抗争の真っただ中にあった。

そのため、Ja Ruleの曲に参加すること自体が「50 Cent包囲網に加わった」と受け取られた。実際、50 Centは翌2005年の『The Massacre』収録曲「Piggy Bank」で、Fat JoeとJadakissを名指しで攻撃。Fat Joeも「My Fofo」で応戦し、両者の関係は長くこじれることになった。

2000年 前後同じクイーンズ出身のJa Ruleと50 Centの対立が表面化
2003年 50 Centが『Get Rich or Die Tryin’』で大ブレイク。Ja RuleとMurder Inc.への攻撃を加速
2004年 Ja Rule「New York」(feat. Fat Joe & Jadakiss)リリース
2005年 50 Centが「Piggy Bank」でFat Joe、Jadakissらを攻撃。同作から「Candy Shop」が大ヒット
2005年 Fat Joeが「My Fofo」で反撃
2026年 Fat Joeが『The Real Report』で「ディスではなかった」と明言

米国Hip-Hopのビーフ(抗争)では、誰の曲に参加するか、誰とステージに立つかが、そのまま「どちら側につくか」の意思表示として受け取られることが多い。歌詞に直接の名指しがなくても、タイミングや共演相手だけで“ディス認定”されてしまうのはそのためだ。

Fat Joeが20年越しに説明する必要があったのも、この「沈黙や客演が語ってしまう」文化があるからこそと言える。

Ja Ruleと50 Centの関係は、SNS時代に入ってからも50 Centの挑発的な投稿などをきっかけに何度も再燃しており、今なおHip-Hop史に残る長期戦のひとつだ。そんな中、当事者の一人であるFat JoeがG-Unit関係者の前で「問題はなかった」と語ったことは、2000年代ニューヨークHip-Hopの人間関係を振り返るうえで興味深い証言となった。

もっとも、「Piggy Bank」と「My Fofo」で実際にやり合った事実は消えない。「New York」自体はディスではなかったとしても、その後の応酬はファンの記憶に強く刻まれている。今回の発言は、当時の“空気”と本人の“意図”が必ずしも一致していなかったことを示す一例と言えるだろう。