Playboi Carti

1978年10月18日、本名・武田嘉穂ことラッパー般若は東京都世田谷区三軒茶屋に生まれた。高校時代、同級生のRUMIから韻の踏み方を教わり、わずか3カ月後にはフリースタイルのステージに立っていたという。三軒茶屋の愚連隊的なストリートカルチャーから生まれた8人組クルー、妄走族の一員として1998年から活動を開始し、2003年からはソロ活動も並行。2010年から2020年まで昭和レコードに所属し、2021年には自身のレーベル「やっちゃったエンタープライズ」を設立した。

般若が「ヒップホップ界随一の異端児」と呼ばれる所以は、自身の苦難を一切飾らずに描き出すそのリリックにある。母子家庭で育った幼少期の貧困、小学校時代に受けた壮絶ないじめ(2018年の著書『何者でもない』で綴られている)、そして「バイトじゃねえ俺はヒップホップに就職」といった生き様そのものを言葉にした率直さは、多くのリスナーの共感を集めてきた。

2016年からはテレビ朝日『フリースタイルダンジョン』の初代ラスボスを約3年半にわたって務め、番組を通じてMCバトルや日本語ラップに触れた新しい世代のファンを大きく獲得した。2019年1月11日には自身初となる日本武道館ワンマンライブ「おはよう武道館」を開催し、約40曲を披露。これはキャリアの集大成として今も語り継がれる一夜となった。『おはよう日本』『根こそぎ』『内部告発』といったアルバム、そして故郷三軒茶屋への想いを綴った”地元の唄”など、生活と地続きの言葉で紡がれた楽曲群は世代を超えて聴き継がれている。

2026年で生誕48年を迎える般若。飾らない言葉で生きることそのものをラップし続けるその姿勢は、今も多くのリスナーの心を掴んで離さない。

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▶︎ “やってもねえのに” 2025年のアルバム『ラストアンサー』のリード曲で、NAOtheLAIZAがプロデュースを手がけた一曲。挑戦する前から諦めてしまう人々への応援歌として、デビューから四半世紀近くを経てなお進化を続ける般若の現在地を示す楽曲だ。

▶︎ “地元の唄” 故郷である世田谷区三軒茶屋への想いを綴ったこの曲は、般若の楽曲の中でもとりわけ愛され続けている一曲。2025年には地元とのコラボ企画にも使用され、今なお色褪せない人気を証明した。

1972年10月17日、本名Marshall Bruce Mathers IIIことEminemはアメリカ・ミズーリ州セントジョセフに生まれた。父親は彼が生後18カ月の頃に家族のもとを去り、母親のもとで貧しい暮らしを送りながらミズーリとミシガンの間を転々とする幼少期を過ごす。12歳の時にミシガン州デトロイトの労働者階級が暮らす地区に落ち着き、14歳から「M&M」を名乗ってラップを始めた。中学を9年生で中退した後は、デトロイトのHip-Hop Shopで開催されるフリースタイルバトルやオープンマイクに通い詰め、独自のスキルを磨き上げていった。

Eminemの名を不動のものにしたのは、2000年の『The Marshall Mathers LP』だ。発売初週だけで176万枚を売り上げるモンスターヒットとなり、続く2002年の『The Eminem Show』はその年、全世界でもっとも売れたアルバムとなった(世界累計約2700万枚)。デビュー作『The Slim Shady LP』から一貫して見せてきた緻密な内部韻とめまぐるしいワードプレイ、そして自身の生い立ちや薬物依存、家族関係を赤裸々に綴るリリシズムは、Hip-Hopの表現の幅そのものを押し広げた。

映画『8 Mile』(2002年)の主題歌”Lose Yourself”では、Hip-Hop楽曲として史上初めてアカデミー賞歌曲賞を受賞。授賞式には出席せず自宅で就寝していたというエピソードも有名だ。キャリアを通じてグラミー賞を15回受賞し、全世界で2億2000万枚以上のセールスを記録する史上もっとも売れたラッパーとなった。Billboard 200で10作連続1位という記録を樹立し、RIAAダイヤモンド認定を7回獲得。白人ラッパーとして初めて主流での商業的・批評的成功を収めた存在としても、Hip-Hopの裾野を広げる大きな役割を果たした。2022年にはロックの殿堂入りも果たしている。

2026年で生誕54年を迎えるEminem。その言葉の密度と技術力は、今なお後続のラッパーたちの目標であり続けている。

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▶︎ “Lose Yourself” 映画『8 Mile』のサウンドトラックとして2002年にリリースされたこの曲は、一世一代のチャンスを掴むというテーマを緊迫感あふれるリリックで描いた代表曲。Hip-Hop楽曲として初めてアカデミー賞歌曲賞を受賞し、グラミー賞も2部門で獲得している。

▶︎ “Without Me” 『The Eminem Show』のリードシングルとして2002年にリリースされたこの曲は、BatmanとRobinのコスチュームを纏うなどユーモラスな演出と、検閲や当時のポップカルチャーへの痛烈な皮肉が同居する一曲。Slim Shadyというもう一つの人格の魅力を存分に発揮し、Eminemのクロスオーバーヒットを象徴する楽曲となった。

2002年10月17日、K DUB SHINE、Zeebra、DJ OASISによるグループ、キングギドラはDefstar Recordsから2作目のスタジオアルバム『最終兵器』をリリースした。1993年、K DUB SHINEが滞在先のアメリカ・オークランドでZeebraに日本語ラップの可能性を説いたことから結成が始まり、Zeebraの幼馴染だったDJ OASISが加入。1995年のデビューアルバム『空からの力』はデモテープの段階からシーンに衝撃を与え(RHYMESTERのQが「デモを100回聴いた」という逸話も残る)、小林よしのり『ゴーマニズム宣言』からの影響のもと日本語ラップに初めて本格的な社会性・政治性を持ち込んだ、日本のヒップホップ史における金字塔的作品として今も語り継がれている。しかし1996年、Zeebraと K DUB SHINEの方向性の相違やDJ OASISのモチベーション低下から活動を休止。メンバーそれぞれがソロ活動へと軸足を移す中、2002年4月5日の渋谷HARLEMでの復活ライブを皮切りに、「1年限定」の再結成としてこのアルバムがリリースされた。

Zeebra自身、本作を「デビュー作の完全版」と位置づけている。デビュー当時は3人それぞれにとって唯一の表現の場だったグループ活動ゆえの衝突があったが、数年間のソロ活動を経て初めて「100%グループ作品として向き合えた」といい、長年目指してきた「日本版Public Enemy」をようやく実現できた作品だと語っている。制作当時、K DUB SHINEはソロミニアルバム『SAVE THE CHILDREN』(2001年)や映画『凶気の桜』の劇伴を、Zeebraは日本語ラップ屈指の商業的成功を、DJ OASISはソロアルバム『東京砂漠』(2001年)をそれぞれ手がけており、三者三様の充実期を経ての再集結だった。

オリコンチャート初登場3位を記録するなど、当時のHip-Hopグループとしては異例の商業的成功を収めた本作は、Zeebra自身「超問題作」と呼ぶ通り、大きな論争も呼んだ。収録曲”公開処刑”(feat. BOY-KEN)ではDragon Ashの古舘祐太郎を名指しで批判し、K DUB SHINEも「ポップ」に寄ったラッパーたちへの苦言を展開。RIP SLYMEが答え歌的な楽曲で応じたとも言われ、当時の「リアルかポップか」を巡る日本語ラップシーンの論争を象徴する一枚となった。2022年にはリード曲”UNSTOPPABLE”が音楽番組「THE FIRST TAKE」でワンテイク披露され、新たな世代のリスナーにも改めてその存在感を知らしめている。

2026年で、『最終兵器』のリリースから24周年を迎える。

▶︎ “UNSTOPPABLE” 本作のリードシングルの一つで、3人それぞれの個性的なフロウが並び立つポッセカット的な代表曲。

2022年にはTHE FIRST TAKEでのワンテイク披露()が話題を呼び、グループの本格復活のきっかけともなった。

▶︎ “F.F.B.” もう一つのリードシングルで、再結成の緊張感をそのまま音に落とし込んだかのようなハードな一曲。当時のシーンを賑わせた「リアル対ポップ」論争の空気を色濃く反映した楽曲として知られている。

1992年10月11日、本名Belcalis Marlenis AlmánzarことCardi Bはニューヨーク市に生まれ、ブロンクスで育った。2013年頃からVineやInstagramでの発信をきっかけに注目を集め始め、貧困や家庭内暴力から抜け出すためストリップクラブで働きながらBorough of Manhattan Community Collegeに通っていた時期もある。2015年にはVH1の番組『Love & Hip Hop: New York』シーズン6に出演して知名度を高め、2016年後半から本格的に音楽活動へと軸足を移していった。

2017年のシングル”Bodak Yellow”は、Lauryn Hillの”Doo Wop (That Thing)”(1998年)以来19年ぶりに、女性ソロラッパーとしてBillboard Hot 100で1位を獲得した楽曲となった。ドミニカ系アーティストとしても史上初のHot 100 1位という快挙で、後にダイヤモンド認定も受けている。

2018年のデビューアルバム『Invasion of Privacy』は、グラミー賞Best Rap Albumを受賞。女性ソロラッパーとしては史上初めてこの部門を受賞した作品となった。続く”I Like It”(feat. Bad Bunny, J Balvin)で自身2曲目のHot 100 1位を獲得し、複数の1位ヒットを持つ女性ラッパーとしても史上初の存在に。2020年にはMegan Thee Stallionとの”WAP”がHot 100初登場1位を4週連続で記録し、YouTubeにおける女性アーティスト同士のコラボレーション楽曲として当時の24時間再生記録を更新した。

2026年で34歳を迎えるCardi B。長らく男性中心だったシーンに風穴を開け、女性ラッパーの新たな時代を切り拓いた立役者として、その功績は計り知れない。

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▶︎ “Bodak Yellow” 2017年公開のこの曲は、ドバイで撮影されたミュージックビデオとYouTube再生10億回超えでも話題となった。19年ぶりに女性ソロラッパーとしてHot 100 1位を獲得した、Cardi Bのブレイクスルーを象徴する一曲だ。

▶︎ “WAP”(feat. Megan Thee Stallion) 2020年にリリースされたこの曲は、Hot 100初登場1位を獲得し、女性アーティスト同士のコラボレーションとしてYouTubeの24時間再生記録を更新した話題作。率直で力強いリリックが、女性のセクシュアリティに対する新しい表現の形として大きな議論と支持を呼んだ。

クラブ出演中、50 Centの2003年の大ヒット曲に合わせて“ノー”を連発したCardi B。元パートナーたちへの当てつけとも取れるその動画を、G-Unitのボス本人がリポストして面白がった。

50 Centが、自身の代表曲のひとつ「21 Questions」にまったく乗り気でないCardi Bの様子を、ユーモアたっぷりに取り上げた。舞台となったのは、Cardi Bが最近出演したナイトクラブでのステージだ。

現地時間9月28日(月)、50 Centはある動画をリポストした。映っていたのは、デビューアルバム『Get Rich or Die Tryin’』収録の「21 Questions」がフロアに流れるなか、マイクを握ってアドリブを差し込むCardi Bの姿。その合いの手は、元夫のOffset、そして直近の元パートナーであるStefon Diggsに向けた“皮肉”ではないかと受け止められている。

「21 Questions」は、2003年にBillboard Hot 100で1位に輝いたヒット曲。歌の中で50 Centは、想いを寄せる女性に向かって次々と質問を投げかける。もし俺がすべてを失っても、もし人生がどん底になっても、それでも俺を愛し続けてくれるか——そんな“忠誠心”を問う内容だ。

ところがCardi Bは、その一つひとつの問いかけに対して“Hell no(絶対ムリ)”と繰り返し即答。50 Centのバースに、まるで会話するかのように拒否の言葉をかぶせていった。

2003年、Dr. DreとEminemのバックアップで鮮烈にデビューした50 Centのアルバム『Get Rich or Die Tryin’』からのシングル。コーラスを担当したのは、西海岸G-Funkを代表するシンガーのNate Dogg(2011年逝去)。

9発撃たれても生き延びたという“ストリートの伝説”を売りにしていた50 Centにとって、甘いラブソングは異色だった。Dr. Dreは当初「ギャングスタを打ち出しておいて、こんな甘い曲を入れるのか」と収録に難色を示したが、50 Centは「自分には二つの顔がある。子どもの頃から生き抜くために必要だった」と押し切ったという。結果的に全米1位を獲得し、現在もRIAAで4×プラチナに認定されている。

“クイーンズのレジェンド”こと50 Centは、自分の名曲を否定されても気を悪くする様子はまったくなかった。それどころか、いかにも彼らしく、あえて燃料を投下。「WAP」でおなじみのラッパーが過去に交際した有名人たちを、名指しこそしないまでも、はっきりそれとわかる形でイジってみせた。

「Cardiは“ナシ”だってさ。前の2人のあとじゃ、もうそういうのは一切ゴメンらしい(笑)。最近の彼女、キレッキレだな」

“Cardi said Nope, she not with none of that s–t after her last 2 🥷🏾 LOL she out here killing shit”— 50 Cent via Instagram

“last 2”は「直近の2人」、つまりCardi Bの元夫OffsetとStefon Diggsを指していると見られる。忍者の絵文字(🥷🏾)は、アメリカのSNSで黒人男性を指すスラング(いわゆる“N-word”)の代用として使われることが多い表現。ここでは“男たち”程度のニュアンスだ思われる。

50 Centが示唆した“2人”との関係は、ここ数年アメリカのエンタメメディアを何度も賑わせてきた。

2017年 MigosのメンバーだったOffsetと結婚。のちに3人の子どもをもうける。

2024年 破局と復縁を繰り返した末、Cardi Bが2度目の離婚を申請。

2025年5月 NFL選手のStefon Diggsとの交際が公に。

2025年11月 Diggsとの間に息子が誕生。その後、破局と復縁が報じられる。

2026年 Diggsとの関係は終わったと見られ、今月にはOffsetとの復縁の噂も本人が否定。

Stefon Diggsはアメリカン・フットボールのプロリーグNFLで活躍するワイドレシーバー。2026年のスーパーボウルに出場したが、チームは敗戦。50 Centはその際にも「試合にも恋にも負けた」とDiggsをネタにしており、今回の投稿もその延長線上にあるといえる。なお、50 CentとCardi Bの間に長年の確執といったものは特に記録されていない。

元パートナーの名前を一度も口にすることなく、たった数語のアドリブで会場とSNSを沸かせたCardi B。そして、それを怒るどころか一緒に笑いに変えてみせた50 Cent。20年以上前の“忠誠心を問うラブソング”が、2026年のクラブで思わぬ“答え合わせ”を迎えた格好だ。