1973年9月14日、本名Nasir bin Olu Dara JonesことNasはニューヨーク・ブルックリンで生まれた。育ったのはクイーンズ、ロングアイランドシティにあるクイーンズブリッジ・ハウジズ――全米最大級の公営住宅団地として知られる場所だ。父親はジャズ・トランペット奏者のOlu Daraで、幼い頃から音楽的な感性を養われたNasは、10代のうちからストリートの現実を鋭い観察眼と詩的な言葉で描き出す独自のスタイルを確立していく。
Nasの真の偉大さは、単なる一枚の名盤に留まらない。『It Was Written』『Stillmatic』『God’s Son』『Life Is Good』など、30年以上にわたるキャリアを通じて、常に緻密な言葉選びとストーリーテリングでシーンの頂点であり続けてきた。2000年代初頭にはJay-Zとの歴史的なディス合戦(“Ether”対”Takeover”)を繰り広げ、Hip-Hop史に残る名勝負としても記憶されている。近年はHit-Boyとタッグを組んだ『King’s Disease』シリーズでグラミー賞Best Rap Albumを受賞するなど、ベテランになってなお進化を続けるその姿勢も、多くのアーティストから尊敬を集める理由だ。
▶︎ “N.Y. State of Mind”『Illmatic』収録のこの曲は、DJ Premierによるダークでミニマルなビートに乗せて、クイーンズブリッジでの緊張感あふれる日常を一人称視点で描いた作品。冒頭の即興的なフリースタイルから続く緊迫したリリシズムは、Hip-Hop史上最も引用・オマージュされる楽曲の一つとなっている。
1994年9月13日、The Notorious B.I.G.はSean “Puffy” Combs率いる新興レーベルBad Boy Recordsから、デビューアルバム『Ready to Die』をリリースした。結果的にこれが彼の生前唯一のアルバムとなる。1997年に凶弾に倒れる彼にとって、本作は自身の物語をすべて凝縮した一枚となった。
名盤たる理由
制作はニューヨークのThe Hit FactoryとD&D Studiosで、1993年12月から1994年6月にかけて2つの時期にまたがって行われた。当初Uptown RecordsでダークなトーンのHip-Hopを録音していたが、Combsの解雇によりプロジェクトは一時停滞。ノースカロライナでドラッグディーリングに手を染めた時期を経て、Combsが立ち上げたBad Boyのもとで再びスタジオに戻り、より自信に満ちた滑らかなヴォーカルトーンで商業性の高い楽曲を録音していく。この二段階の制作過程が、アルバム全体に見られるダークな面とポップな面が同居する独特のコントラストを生み出している。
批評的な評価は極めて高く、Rolling StoneのCheo H. Cokerは「Ice Cubeの『AmeriKKKa’s Most Wanted』以来もっとも強力なソロデビュー作」と評し、AllMusicは五つ星を献呈し「East Coast Hip-Hopをギャングスタ時代向けに再定義した」と絶賛した。商業的には初週わずか5万7000枚のスタートだったが、発売から2カ月でゴールド認定を獲得。2018年までに600万枚を売り上げる6倍プラチナ作品となっている。
文化的な意義としても計り知れない。West Coast全盛期にあった当時のHip-Hopシーンにおいて、East Coast Hip-Hopの復権を印象づけた重要な作品であり、Rolling Stone誌は2020年の「500 Greatest Albums of All Time」でHip-Hopアルバム中1位、総合でも22位にランクイン。2024年には米議会図書館のNational Recording Registryにも選出されている。
2016年のシングル”Selfish”はBillboard Hot 100で最高51位を記録し、後にトリプルプラチナ認定を受けるブレイクスルーヒットとなった。デビューアルバム『Catch These Vibes』(2017年)はBillboard 200で最高17位、続く『TrapStar Turnt PopStar』(2019年)は最高4位を記録するなど、着実にキャリアを積み上げていった。
2022年9月12日、PnB Rockはロサンゼルス南部にあるレストラン「Roscoe’s House of Chicken ‘N Waffles」で食事中に強盗に襲われ、銃撃を受けて死亡した。享年30。
事件をめぐっては複数の人物が起訴され、Freddie Lee Troneは2024年8月に第一級殺人・強盗・共謀の全容疑で有罪判決を受け、同年9月に仮釈放まで最低31年を要する終身刑を言い渡された。共犯者のTremont Jonesも強盗・共謀の罪で有罪となり懲役12年の判決を受けている。この事件は、SNSでの位置情報の公開がアーティストの安全に及ぼすリスクについても大きな議論を呼んだ。
2001年9月11日、Jay-Zは自身6作目のスタジオアルバム『The Blueprint』をRoc-A-Fella RecordsとDef Jam Recordingsからリリースした。当時すでにHip-Hopシーンの頂点に君臨していたJay-Zだが、本作はブートレグ流出対策として発売日を1週間前倒しにするという異例の経緯でリリースされた。そしてその発売日は、奇しくもアメリカ同時多発テロ事件が発生した日と重なり、Hip-Hop史上もっとも数奇な運命をたどったアルバムの一つとして記憶されることになる。
▶︎ “Izzo (H.O.V.A.)”アルバムのリードシングルで、Kanye WestがThe Jackson 5の”I Want You Back”を大胆にサンプリングしたトラックが印象的な一曲。Hip-Hopファン以外にも広く浸透したクロスオーバーヒットとなり、Jay-Zの主流での地位を決定づけた楽曲でもある。
1994年8月21日、日本語ラップの歴史を変えるシングルが届いた。EAST END×YURIの1stシングル「DA.YO.NE」だ。EAST END——GAKU-MC、ROCK-Tee、YOGGYの1MC+2DJによるHip-Hopグループ——と、東京パフォーマンスドール出身のポップシンガー、市井由理(YURI)が組んだユニットによるこの曲は、RHYMESTERのMummy-DとGAKU-MCが共同作詞し、YOGGYが作曲した。George Bensonの「Turn Your Love Around」をサンプリングしたキャッチーなトラックの上に、女子の日常会話とGAKU-MCの軽妙なラップが絡み合う、当時の日本のHip-Hopとしては異色のポップ・フレンドリーな一作だった。
「DA.YO.NE」のヒットは一夜にして訪れたわけではない。リリース当初、セールスは低調だった。転機をもたらしたのは北海道のラジオ局FM NORTH WAVEによるヘビーローテーションで、口コミで広まった人気が地方から全国へと波及し、翌1995年に入ってようやく全国規模のブレイクを迎えた。最終的にオリコン週間シングルチャートで最高7位に達し、日本語ラップ史上初となるミリオンセラー(101.8万枚)を記録。ギネスブックに「英語以外の言語によるラップCDの世界最高売上記録」として掲載された。
2017年にはソロデビュー25周年を記念して、自身初となる日本語ラップのみで構成されたアルバム”軌跡”をリリース。RINO LATINA II、5lack、OMSB、R-指定、呂布カルマ、志人、Meiso、チプルソといった世代を超えたラッパーたちを迎え、長年temptしていた「日本語ラップアルバム」という夢を実現させた。
▶︎”Song for John Walker” feat. Anticon 2002年のアルバム”The Message at the Depth”に収録された一曲で、アメリカのアンダーグラウンド・ヒップホップ・コレクティブAnticonのメンバーたちをフィーチャー。アフガニスタンでタリバン側として拘束されたアメリカ人ジョン・ウォーカー・リンドの事件を題材に、9.11後のアメリカ社会への批評的な視点を織り込んだ重厚な一曲で、DJ KRUSHの国際的なコラボレーションの広がりを示す楽曲だ。
1996年7月7日、東京・日比谷野外大音楽堂にて、日本初の大規模なヒップホップイベント「さんピンCAMP(THUMPIN’ CAMP)」が開催された。提唱者はラッパーのECD。当時の日本のヒップホップシーンでは、ECD主催の「CHECK YOUR MIKE」やYOU THE ROCK★主催の「ブラック・マンデー」、雷家族のイベント「亜熱帯雨林」など、クラブを舞台にした複数アーティスト出演型のイベントは数多く開催されていたが、野外音楽堂のような大会場を使用するほどの規模のイベントはそれまで存在しなかった。
“I’m not your friend, I’m not your buddy. I don’t like majority of you. I don’t want your approval. I hate the music industry. I don’t wanna participate in this circus.”
とはいえ、アワードショーとの関係はずっと複雑だった。2022年には、American Music Awards(AMA)で予定されていたMichael Jacksonトリビュートのパフォーマンスが本番直前に中止に。本人いわく「理由は不明」とのことだった。その夜、彼は欠席していたにもかかわらずFavorite Male R&B Artistを受賞したが、受賞が発表されると会場からはブーイングが起こり、プレゼンターのKelly Rowlandが彼を擁護する一幕もあった。
GrammyとAmerican Music Awardsの違い
Grammy賞はレコーディング・アカデミー会員(アーティストや制作者など業界関係者)の投票で決まる、いわば“業界からの評価”。一方American Music Awardsはファン投票が軸となる賞で、人気の指標としての色合いが強い。つまり彼は、ファンからも業界からも一定の評価を受けながら、同時に激しい批判にもさらされ続けてきたことになる。
Kelly RowlandはDestiny’s Childの元メンバー。ブーイングする観客に向かって「静かに」とたしなめ、代理で受賞を発表したことは当時大きな話題となった。
Congressional Recordはアメリカ連邦議会の公式議事録。議員は本会議での発言や挿入文書(Extension of Remarks)を通じて、特定の人物や団体の功績をたたえる文言を議事録に残すことができる。法的効力はないものの、公的な記録として永久に残る名誉的な顕彰だ。州議会の「決議(resolution)」も同様に、個人を称える目的でよく用いられる。
Black joyは、差別や苦難ばかりが語られがちな黒人の経験に対し、喜びや祝福、文化的な豊かさを肯定的に可視化しようという近年の言葉。アーリントンはテキサス州ダラス近郊の都市で、大規模スタジアムを擁するライブの一大開催地でもある。
しかし、彼の過去を理由に、この表彰はたちまち反発を招いた。
Chris Brownは当初、Crockettに感謝を述べたうえで、彼女が受けている批判について「俺を表彰したことで、あなたがバッシングを受けることになってしまって申し訳ない」と謝罪していた。
1991年9月24日、A Tribe Called Questは自身2作目のスタジオアルバム『The Low End Theory』をリリースした。前作『People’s Instinctive Travels and the Paths of Rhythm』(1990年)でNative Tonguesの一員として注目を集めていた彼らは、本作でジャズとHip-Hopを融合させるという革新的なアプローチに踏み出し、ジャンルの可能性を大きく広げることになる。
批評的な評価は非常に高く、The Sourceは殿堂入りクラシックのみに与えられる5マイク評価を授与。NMEは前作からの「飛躍的な進化」と評した。商業的には当初こそBillboard 200で45位デビューと期待を下回ったが、”Check the Rhime””Scenario”などのヒットシングルを経て、1992年にゴールド、1995年にはプラチナ認定を獲得している。
Ja Ruleと50 Centの関係は、SNS時代に入ってからも50 Centの挑発的な投稿などをきっかけに何度も再燃しており、今なおHip-Hop史に残る長期戦のひとつだ。そんな中、当事者の一人であるFat JoeがG-Unit関係者の前で「問題はなかった」と語ったことは、2000年代ニューヨークHip-Hopの人間関係を振り返るうえで興味深い証言となった。
Cease-and-desist(停止通告書)は、権利者が相手に対して「その行為をやめなさい」と正式に求める書面で、アメリカでは訴訟の前段階として一般的に使われる。これで話がまとまれば裁判にはならない。今回は一度「改名」で和解が成立していたため、訴えには商標権侵害に加えて契約違反(breach of contract)も含まれている。また商標法は連邦法(ランハム法)で定められているため、州の裁判所ではなく連邦裁判所が舞台となる。OutKast側は名前の使用の永久停止、その名前を使った素材の破棄、そして金銭的な損害賠償を求めている。被告側には訴状への回答まで30日の猶予がある。 つまりOutKast側から見れば、「一度は円満に話がついたはずなのに、約束が守られなかった」というのが今回の提訴の直接的な理由だ。
Jackson Wang (32)は契約発表に合わせ、新曲「Thank You」と、そのモノクロミュージックビデオを公開した。映像はOjun Kwonとの共同監督によるもので、iPhone 18 Proで撮影。80カ国以上から集まった応募者の中から選ばれた30人のファンが出演するという、ファンとの距離の近さを前面に打ち出した内容になっている。
GOT7から、ソロアーティスト・起業家へ Jackson Wangは元々、韓国発のボーイズグループGOT7のメンバーとして国際的な知名度を獲得した人物だ。その後、自身のレーベルTeam Wang Recordsを立ち上げ、ソロアーティストとして成功を収めている。音楽活動にとどまらず、ファッション、クリエイティブディレクション、ライブエンターテインメントなど幅広い事業を展開してきた。
『Los Angeles Times』の取材に応じた御年56歳のDr. Dreは、「本当に奇妙なことなんだよ。俺は高血圧になったことがないし、普段から健康には常に気を使っている。でも黒人男性は何かしらの理由で高血圧になりやすいようで、まさか俺がなるとは思ってなかった。だが今は、そのおかげで気を付けて生活しているよ。全ての黒人男性は、自分の血圧に問題がないか確認するべきだと思う。俺はこれからも健康で長生きしたいと願うよ。素晴らしい気分だ」と、倒れたことをきっかけに改めて自分の身体と向き合うようになったと同時に、彼と同じルーツを持つ人々に対するアドバイスも残している。
今年1月24日(日)に急逝した〈MISTERGENTLEMAN(ミスター・ジェントルマン)〉のデザイナー オオスミタケシ。『HYPEBEAST』の読者の中で、彼が伝説のラップ・グループ SHAKKAZOMBIE(シャカゾンビ)のメンバーだったことをご存知の方はどれくらいいるだろうか。彼がかつてBIG-Oを名乗り、1990年代から2000年代初頭にかけて日本のヒップホップシーンをリードしたラッパーの1人だった事実は、より多くの人が知るべきだろう。そんなファッション業界だけでなく、ヒップホップシーンでもカリスマ的な存在として活躍したBIG-Oにリスペクトを捧げるトリビュートEP『BIG-O DA ULTIMATE』が6月末に配信されることが決定した。
本EPには、世代やジャンルの垣根を超えたアーティストたちがBIG-Oのために集結し、SHAKKAZOMBIEの名曲の数々を新たにリメイク。6月末のリリースに先駆け、彼の誕生日である5月30日(日)に“空を取り戻した日(DJ WATARAI REMIX)feat. IGNITION MAN,JON-E”が先行配信される。さらに、6月9日(水)に“虹(Chaki Zulu REMIX)”、6月16日(水)には“5o tight So deeP – 5lack feat. PUNPEE & SHAKKAZOMBIE”を配信リリース。そして先述の3曲を含む全6曲を収録したのが本トリビュートEPとなる。
Yeは2020年から時折自身のツイートに“#WESTDAYEVER”という謎のハッシュタグを添えていたのだが、これが記念すべき10枚目のソロアルバム『WestDayEver』のタイトルだったことが判明。というのも彼のマネージャー Buが、〈GAP〉の『Instagram』に「WestDayEver. Album OTW!」と書き込んでいたことからその存在が明らかになったのだが、肝心なリリース情報に関して一切不明。前作『Jesus Is King』はタイトル変更および再三の発売延期により当初の予定から1年以上も遅れてリリースされたという嫌な実績があるだけに、Yeファンの皆様は2022年中にリリースされるくらいの心構えのほうがよいだろう。