1972年10月17日、本名Marshall Bruce Mathers IIIことEminemはアメリカ・ミズーリ州セントジョセフに生まれた。父親は彼が生後18カ月の頃に家族のもとを去り、母親のもとで貧しい暮らしを送りながらミズーリとミシガンの間を転々とする幼少期を過ごす。12歳の時にミシガン州デトロイトの労働者階級が暮らす地区に落ち着き、14歳から「M&M」を名乗ってラップを始めた。中学を9年生で中退した後は、デトロイトのHip-Hop Shopで開催されるフリースタイルバトルやオープンマイクに通い詰め、独自のスキルを磨き上げていった。
1992年10月11日、本名Belcalis Marlenis AlmánzarことCardi Bはニューヨーク市に生まれ、ブロンクスで育った。2013年頃からVineやInstagramでの発信をきっかけに注目を集め始め、貧困や家庭内暴力から抜け出すためストリップクラブで働きながらBorough of Manhattan Community Collegeに通っていた時期もある。2015年にはVH1の番組『Love & Hip Hop: New York』シーズン6に出演して知名度を高め、2016年後半から本格的に音楽活動へと軸足を移していった。
2017年のシングル”Bodak Yellow”は、Lauryn Hillの”Doo Wop (That Thing)”(1998年)以来19年ぶりに、女性ソロラッパーとしてBillboard Hot 100で1位を獲得した楽曲となった。ドミニカ系アーティストとしても史上初のHot 100 1位という快挙で、後にダイヤモンド認定も受けている。
2018年のデビューアルバム『Invasion of Privacy』は、グラミー賞Best Rap Albumを受賞。女性ソロラッパーとしては史上初めてこの部門を受賞した作品となった。続く”I Like It”(feat. Bad Bunny, J Balvin)で自身2曲目のHot 100 1位を獲得し、複数の1位ヒットを持つ女性ラッパーとしても史上初の存在に。2020年にはMegan Thee Stallionとの”WAP”がHot 100初登場1位を4週連続で記録し、YouTubeにおける女性アーティスト同士のコラボレーション楽曲として当時の24時間再生記録を更新した。
現地時間9月28日(月)、50 Centはある動画をリポストした。映っていたのは、デビューアルバム『Get Rich or Die Tryin’』収録の「21 Questions」がフロアに流れるなか、マイクを握ってアドリブを差し込むCardi Bの姿。その合いの手は、元夫のOffset、そして直近の元パートナーであるStefon Diggsに向けた“皮肉”ではないかと受け止められている。
「21 Questions」は、2003年にBillboard Hot 100で1位に輝いたヒット曲。歌の中で50 Centは、想いを寄せる女性に向かって次々と質問を投げかける。もし俺がすべてを失っても、もし人生がどん底になっても、それでも俺を愛し続けてくれるか——そんな“忠誠心”を問う内容だ。
1971年10月27日、本名・清水和之ことILL-BOSSTINOは北海道亀田郡七飯町大中山に生まれた。市立函館高等学校では一年間の休学を経験し、配管工として働いていた時期もある。その後進学した札幌大学経済学部時代、すすきののクラブやキャバクラで働きながらヒップホップカルチャーにのめり込んでいく。Nasの『Illmatic』のライナーノーツを読み込んだことが、自身の作詞への向き合い方を大きく変えたという。1997年、トラックメイカーのO.N.Oと共に札幌でTHA BLUE HERBを結成。グループ内ではBOSS THE MC、外部作品ではILL-BOSSTINO、2015年からはtha BOSS名義でソロ活動も行うなど、複数の名義を使い分けながら活動を続けている。
THA BLUE HERBの最大の特徴は、東京中心だった日本のヒップホップシーンに対し、あえて拠点を札幌に置き続けたことにある。「東京に出て音楽なんて古いんだ 地元も仕切らずに何歌う気だ」というリリックが象徴するように、メジャーレーベルに頼らず自主レーベルTHA BLUE HERB RECORDINGSを通じて作品を発表し続けるインディペンデントな姿勢は、日本のインディーヒップホップの気風を切り拓いたと評価されている。The Japan Timesはかつて彼らを「日本のヒップホップにおけるCompany Flow」と評した。恋愛をテーマにせず、社会的でありながら文学的・哲学的な言葉選びを貫くそのスタイルから、ILL-BOSSTINOは「哲学する詩人」とも称される。
1999年の1stアルバム『STILLING, STILL DREAMING』を皮切りに、2007年の『LIFE STORY』(オリコン15位)、2012年の『TOTAL』など、一貫して高い評価を受けるアルバムをリリース。晋平太、R-指定、DOTAMAといった後続世代のラッパーへの影響を公言する声も多く、フジロックフェスティバルをはじめとするロックフェスの舞台にラッパーが立つ道を切り拓いた存在としても知られている。
1978年10月20日、本名・古川竜一ことTOKONA-Xは神奈川県横浜市に生まれた。後に家族とともに愛知県常滑市へ移り住み、そこでヒップホップと出会う。芸名の「TOKONA」は「常滑」に由来する。1996年、17歳の若さで東京の伝説的フェス「さんピンCAMP」にDJ刃頭とのデュオでオープニングアクトとして出演。名古屋への強い誇りを込めたリリックは、当初は東京中心だったシーンから反発を受けたという。DJ刃頭とのユニットILLMARIACHIとして1997年に発表したデビューアルバム『THA MASTA BLUSTA』は、後にP-VINEから「金字塔的な作品」と評される一枚となった。EQUAL、AKIRAらとのM.O.S.A.D.としても活動し、2004年にはDef Jam Japanから初のソロアルバム『トウカイ×テイオー』をリリースしている。TOKONA-Xは2004年11月22日、26歳の若さで急逝した。
TOKONA-Xの最大の武器は、名古屋弁を大胆に取り入れた圧の強いフロウと、パーティー感あふれる過激な表現だった。当時のシーンの主流だった内省的なリリシズムとは一線を画すそのスタイルは唯一無二と評され、名古屋という一地方都市のシーンを全国区に押し上げた最大の功労者として今なお語り継がれている。2002年、札幌のTHA BLUE HERBとの間で巻き起こった一件(タトゥーの意味を巡る誤解から生まれたディス曲”EQUIS.EX.X”がきっかけとなった)は、結果的に彼を全国的な知名度へと押し上げる転機となった。
2004年のソロアルバム収録曲”知らざあ言って聞かせやSHOW”は、今も彼を象徴する代表曲として愛され続けている。没後は後輩DJ RYOWによるトリビュート曲”WHO ARE U?”が世代を超えて幾度もリメイクされ(2009年、2011年、2015年には般若も参加、2018年、2022年と続く)、2025年にはドキュメンタリー『KING OF BULLSH*T -THE SAGA OF TOKONA-X-』も制作されるなど、そのレジェンドとしての存在感は今も色褪せていない。
1994年8月21日、日本語ラップの歴史を変えるシングルが届いた。EAST END×YURIの1stシングル「DA.YO.NE」だ。EAST END——GAKU-MC、ROCK-Tee、YOGGYの1MC+2DJによるHip-Hopグループ——と、東京パフォーマンスドール出身のポップシンガー、市井由理(YURI)が組んだユニットによるこの曲は、RHYMESTERのMummy-DとGAKU-MCが共同作詞し、YOGGYが作曲した。George Bensonの「Turn Your Love Around」をサンプリングしたキャッチーなトラックの上に、女子の日常会話とGAKU-MCの軽妙なラップが絡み合う、当時の日本のHip-Hopとしては異色のポップ・フレンドリーな一作だった。
「DA.YO.NE」のヒットは一夜にして訪れたわけではない。リリース当初、セールスは低調だった。転機をもたらしたのは北海道のラジオ局FM NORTH WAVEによるヘビーローテーションで、口コミで広まった人気が地方から全国へと波及し、翌1995年に入ってようやく全国規模のブレイクを迎えた。最終的にオリコン週間シングルチャートで最高7位に達し、日本語ラップ史上初となるミリオンセラー(101.8万枚)を記録。ギネスブックに「英語以外の言語によるラップCDの世界最高売上記録」として掲載された。
2001年10月23日、DMXはRuff Ryders EntertainmentとDef Jam Recordingsから自身4作目のスタジオアルバム『The Great Depression』をリリースした。『It’s Dark and Hell Is Hot』(1998年)、『Flesh of My Flesh, Blood of My Blood』(1998年)、『…And Then There Was X』(1999年)と、これまでの3作すべてでBillboard 200初登場1位を記録してきたDMXにとって、本作はその勢いを維持できるかが注目される一作となった。
『The Great Depression』は、セラピーセッションを模したスポークンワードのイントロで幕を開けるなど、これまでの作品以上に内省的で告白的なトーンが強い作品だ。批評家からは、ラップをセラピーとして用いているかのような喪失感や精神的な葛藤の描写が指摘され、AllMusicは「感情的にはこれまでと変わらないが、4作目にして創作面での疲弊も感じさせる」と評した一方、RapReviewsは収録曲”Fallin’”を「本物の心の痛みが伝わる」と高く評価している。
商業的には初週44万枚を売り上げてBillboard 200初登場1位を獲得。これでDMXは4作連続でアルバムを1位デビューさせるという、当時としても稀有な記録を打ち立てた。同年12月にはプラチナ認定を獲得している。シングル”Who We Be”はグラミー賞Best Rap Solo Performanceにノミネートされ(受賞はMissy Elliottの”Get Ur Freak On”)、”We Right Here”もHot Rap Songsチャートで上位に食い込むヒットとなった。信仰と苦悩の間で揺れ動く独特のリリシズムで一時代を築いたDMXにとって、本作は商業的な絶頂と、アーティストとしての消耗が同時に垣間見える、キャリアの転換点を示す一枚として位置づけられている。
▶︎ “Gin and Juice” 『Doggystyle』からのシングルで、レイドバックしたG-funkサウンドとSnoop Dogg独特の間延びしたフロウが存分に発揮された一曲。彼のキャリアを象徴するパーティーアンセムとして、今も世代を超えて愛されている。
▶︎ “Drop It Like It’s Hot”(feat. Pharrell Williams) Neptunesプロデュースによるミニマルなビートと舌打ちのような音が印象的なこの曲は、2004年にBillboard Hot 100で1位を獲得。デビューから10年以上を経てなお第一線であり続けることを証明した、Snoop Doggのキャリア後期を代表するヒット曲だ。
『Los Angeles Times』の取材に応じた御年56歳のDr. Dreは、「本当に奇妙なことなんだよ。俺は高血圧になったことがないし、普段から健康には常に気を使っている。でも黒人男性は何かしらの理由で高血圧になりやすいようで、まさか俺がなるとは思ってなかった。だが今は、そのおかげで気を付けて生活しているよ。全ての黒人男性は、自分の血圧に問題がないか確認するべきだと思う。俺はこれからも健康で長生きしたいと願うよ。素晴らしい気分だ」と、倒れたことをきっかけに改めて自分の身体と向き合うようになったと同時に、彼と同じルーツを持つ人々に対するアドバイスも残している。
今年1月24日(日)に急逝した〈MISTERGENTLEMAN(ミスター・ジェントルマン)〉のデザイナー オオスミタケシ。『HYPEBEAST』の読者の中で、彼が伝説のラップ・グループ SHAKKAZOMBIE(シャカゾンビ)のメンバーだったことをご存知の方はどれくらいいるだろうか。彼がかつてBIG-Oを名乗り、1990年代から2000年代初頭にかけて日本のヒップホップシーンをリードしたラッパーの1人だった事実は、より多くの人が知るべきだろう。そんなファッション業界だけでなく、ヒップホップシーンでもカリスマ的な存在として活躍したBIG-Oにリスペクトを捧げるトリビュートEP『BIG-O DA ULTIMATE』が6月末に配信されることが決定した。
本EPには、世代やジャンルの垣根を超えたアーティストたちがBIG-Oのために集結し、SHAKKAZOMBIEの名曲の数々を新たにリメイク。6月末のリリースに先駆け、彼の誕生日である5月30日(日)に“空を取り戻した日(DJ WATARAI REMIX)feat. IGNITION MAN,JON-E”が先行配信される。さらに、6月9日(水)に“虹(Chaki Zulu REMIX)”、6月16日(水)には“5o tight So deeP – 5lack feat. PUNPEE & SHAKKAZOMBIE”を配信リリース。そして先述の3曲を含む全6曲を収録したのが本トリビュートEPとなる。
Yeは2020年から時折自身のツイートに“#WESTDAYEVER”という謎のハッシュタグを添えていたのだが、これが記念すべき10枚目のソロアルバム『WestDayEver』のタイトルだったことが判明。というのも彼のマネージャー Buが、〈GAP〉の『Instagram』に「WestDayEver. Album OTW!」と書き込んでいたことからその存在が明らかになったのだが、肝心なリリース情報に関して一切不明。前作『Jesus Is King』はタイトル変更および再三の発売延期により当初の予定から1年以上も遅れてリリースされたという嫌な実績があるだけに、Yeファンの皆様は2022年中にリリースされるくらいの心構えのほうがよいだろう。