1992年10月11日、本名Belcalis Marlenis AlmánzarことCardi Bはニューヨーク市に生まれ、ブロンクスで育った。2013年頃からVineやInstagramでの発信をきっかけに注目を集め始め、貧困や家庭内暴力から抜け出すためストリップクラブで働きながらBorough of Manhattan Community Collegeに通っていた時期もある。2015年にはVH1の番組『Love & Hip Hop: New York』シーズン6に出演して知名度を高め、2016年後半から本格的に音楽活動へと軸足を移していった。
2017年のシングル”Bodak Yellow”は、Lauryn Hillの”Doo Wop (That Thing)”(1998年)以来19年ぶりに、女性ソロラッパーとしてBillboard Hot 100で1位を獲得した楽曲となった。ドミニカ系アーティストとしても史上初のHot 100 1位という快挙で、後にダイヤモンド認定も受けている。
2018年のデビューアルバム『Invasion of Privacy』は、グラミー賞Best Rap Albumを受賞。女性ソロラッパーとしては史上初めてこの部門を受賞した作品となった。続く”I Like It”(feat. Bad Bunny, J Balvin)で自身2曲目のHot 100 1位を獲得し、複数の1位ヒットを持つ女性ラッパーとしても史上初の存在に。2020年にはMegan Thee Stallionとの”WAP”がHot 100初登場1位を4週連続で記録し、YouTubeにおける女性アーティスト同士のコラボレーション楽曲として当時の24時間再生記録を更新した。
現地時間9月28日(月)、50 Centはある動画をリポストした。映っていたのは、デビューアルバム『Get Rich or Die Tryin’』収録の「21 Questions」がフロアに流れるなか、マイクを握ってアドリブを差し込むCardi Bの姿。その合いの手は、元夫のOffset、そして直近の元パートナーであるStefon Diggsに向けた“皮肉”ではないかと受け止められている。
「21 Questions」は、2003年にBillboard Hot 100で1位に輝いたヒット曲。歌の中で50 Centは、想いを寄せる女性に向かって次々と質問を投げかける。もし俺がすべてを失っても、もし人生がどん底になっても、それでも俺を愛し続けてくれるか——そんな“忠誠心”を問う内容だ。
1982年9月27日、本名Dwayne Michael Carter Jr.ことLil Wayneはルイジアナ州ニューオーリンズ、アップタウン地区のホリグローブで生まれた。11歳という若さでCash Money Recordsと契約し、Hot Boy$のメンバーとしてキャリアをスタート。10代のうちから才能を発揮し、以降30年以上にわたってHip-Hopシーンの中心であり続けている。
Lil Wayneを語る上で欠かせないのが、2000年代のミックステープシーンにおける革命的な存在感だ。”Da Drought 3″をはじめとする無数のミックステープを通じて、彼は正規アルバムのリリースサイクルとは異なる形でシーンの評価を勝ち取り、以降のミックステープ文化そのものを作り変えたと評価されている。
そして『Tha Carter』シリーズは彼のキャリアの核だ。特に2008年の『Tha Carter III』は初週100万枚以上を売り上げ、グラミー賞Best Rap Albumを受賞するなど、彼のキャリアの頂点を象徴する作品となった。2012年9月27日には自身の誕生日に、Billboard Hot 100における楽曲登録数でElvis Presleyを抜き、109曲という記録を打ち立てている。
“I’m not your friend, I’m not your buddy. I don’t like majority of you. I don’t want your approval. I hate the music industry. I don’t wanna participate in this circus.”
とはいえ、アワードショーとの関係はずっと複雑だった。2022年には、American Music Awards(AMA)で予定されていたMichael Jacksonトリビュートのパフォーマンスが本番直前に中止に。本人いわく「理由は不明」とのことだった。その夜、彼は欠席していたにもかかわらずFavorite Male R&B Artistを受賞したが、受賞が発表されると会場からはブーイングが起こり、プレゼンターのKelly Rowlandが彼を擁護する一幕もあった。
GrammyとAmerican Music Awardsの違い
Grammy賞はレコーディング・アカデミー会員(アーティストや制作者など業界関係者)の投票で決まる、いわば“業界からの評価”。一方American Music Awardsはファン投票が軸となる賞で、人気の指標としての色合いが強い。つまり彼は、ファンからも業界からも一定の評価を受けながら、同時に激しい批判にもさらされ続けてきたことになる。
Kelly RowlandはDestiny’s Childの元メンバー。ブーイングする観客に向かって「静かに」とたしなめ、代理で受賞を発表したことは当時大きな話題となった。
Congressional Recordはアメリカ連邦議会の公式議事録。議員は本会議での発言や挿入文書(Extension of Remarks)を通じて、特定の人物や団体の功績をたたえる文言を議事録に残すことができる。法的効力はないものの、公的な記録として永久に残る名誉的な顕彰だ。州議会の「決議(resolution)」も同様に、個人を称える目的でよく用いられる。
Black joyは、差別や苦難ばかりが語られがちな黒人の経験に対し、喜びや祝福、文化的な豊かさを肯定的に可視化しようという近年の言葉。アーリントンはテキサス州ダラス近郊の都市で、大規模スタジアムを擁するライブの一大開催地でもある。
しかし、彼の過去を理由に、この表彰はたちまち反発を招いた。
Chris Brownは当初、Crockettに感謝を述べたうえで、彼女が受けている批判について「俺を表彰したことで、あなたがバッシングを受けることになってしまって申し訳ない」と謝罪していた。
1978年10月20日、本名・古川竜一ことTOKONA-Xは神奈川県横浜市に生まれた。後に家族とともに愛知県常滑市へ移り住み、そこでヒップホップと出会う。芸名の「TOKONA」は「常滑」に由来する。1996年、17歳の若さで東京の伝説的フェス「さんピンCAMP」にDJ刃頭とのデュオでオープニングアクトとして出演。名古屋への強い誇りを込めたリリックは、当初は東京中心だったシーンから反発を受けたという。DJ刃頭とのユニットILLMARIACHIとして1997年に発表したデビューアルバム『THA MASTA BLUSTA』は、後にP-VINEから「金字塔的な作品」と評される一枚となった。EQUAL、AKIRAらとのM.O.S.A.D.としても活動し、2004年にはDef Jam Japanから初のソロアルバム『トウカイ×テイオー』をリリースしている。TOKONA-Xは2004年11月22日、26歳の若さで急逝した。
TOKONA-Xの最大の武器は、名古屋弁を大胆に取り入れた圧の強いフロウと、パーティー感あふれる過激な表現だった。当時のシーンの主流だった内省的なリリシズムとは一線を画すそのスタイルは唯一無二と評され、名古屋という一地方都市のシーンを全国区に押し上げた最大の功労者として今なお語り継がれている。2002年、札幌のTHA BLUE HERBとの間で巻き起こった一件(タトゥーの意味を巡る誤解から生まれたディス曲”EQUIS.EX.X”がきっかけとなった)は、結果的に彼を全国的な知名度へと押し上げる転機となった。
2004年のソロアルバム収録曲”知らざあ言って聞かせやSHOW”は、今も彼を象徴する代表曲として愛され続けている。没後は後輩DJ RYOWによるトリビュート曲”WHO ARE U?”が世代を超えて幾度もリメイクされ(2009年、2011年、2015年には般若も参加、2018年、2022年と続く)、2025年にはドキュメンタリー『KING OF BULLSH*T -THE SAGA OF TOKONA-X-』も制作されるなど、そのレジェンドとしての存在感は今も色褪せていない。
1994年8月21日、日本語ラップの歴史を変えるシングルが届いた。EAST END×YURIの1stシングル「DA.YO.NE」だ。EAST END——GAKU-MC、ROCK-Tee、YOGGYの1MC+2DJによるHip-Hopグループ——と、東京パフォーマンスドール出身のポップシンガー、市井由理(YURI)が組んだユニットによるこの曲は、RHYMESTERのMummy-DとGAKU-MCが共同作詞し、YOGGYが作曲した。George Bensonの「Turn Your Love Around」をサンプリングしたキャッチーなトラックの上に、女子の日常会話とGAKU-MCの軽妙なラップが絡み合う、当時の日本のHip-Hopとしては異色のポップ・フレンドリーな一作だった。
「DA.YO.NE」のヒットは一夜にして訪れたわけではない。リリース当初、セールスは低調だった。転機をもたらしたのは北海道のラジオ局FM NORTH WAVEによるヘビーローテーションで、口コミで広まった人気が地方から全国へと波及し、翌1995年に入ってようやく全国規模のブレイクを迎えた。最終的にオリコン週間シングルチャートで最高7位に達し、日本語ラップ史上初となるミリオンセラー(101.8万枚)を記録。ギネスブックに「英語以外の言語によるラップCDの世界最高売上記録」として掲載された。
2017年にはソロデビュー25周年を記念して、自身初となる日本語ラップのみで構成されたアルバム”軌跡”をリリース。RINO LATINA II、5lack、OMSB、R-指定、呂布カルマ、志人、Meiso、チプルソといった世代を超えたラッパーたちを迎え、長年temptしていた「日本語ラップアルバム」という夢を実現させた。
▶︎”Song for John Walker” feat. Anticon 2002年のアルバム”The Message at the Depth”に収録された一曲で、アメリカのアンダーグラウンド・ヒップホップ・コレクティブAnticonのメンバーたちをフィーチャー。アフガニスタンでタリバン側として拘束されたアメリカ人ジョン・ウォーカー・リンドの事件を題材に、9.11後のアメリカ社会への批評的な視点を織り込んだ重厚な一曲で、DJ KRUSHの国際的なコラボレーションの広がりを示す楽曲だ。
▶︎ “Gin and Juice” 『Doggystyle』からのシングルで、レイドバックしたG-funkサウンドとSnoop Dogg独特の間延びしたフロウが存分に発揮された一曲。彼のキャリアを象徴するパーティーアンセムとして、今も世代を超えて愛されている。
▶︎ “Drop It Like It’s Hot”(feat. Pharrell Williams) Neptunesプロデュースによるミニマルなビートと舌打ちのような音が印象的なこの曲は、2004年にBillboard Hot 100で1位を獲得。デビューから10年以上を経てなお第一線であり続けることを証明した、Snoop Doggのキャリア後期を代表するヒット曲だ。
1972年10月17日、本名Marshall Bruce Mathers IIIことEminemはアメリカ・ミズーリ州セントジョセフに生まれた。父親は彼が生後18カ月の頃に家族のもとを去り、母親のもとで貧しい暮らしを送りながらミズーリとミシガンの間を転々とする幼少期を過ごす。12歳の時にミシガン州デトロイトの労働者階級が暮らす地区に落ち着き、14歳から「M&M」を名乗ってラップを始めた。中学を9年生で中退した後は、デトロイトのHip-Hop Shopで開催されるフリースタイルバトルやオープンマイクに通い詰め、独自のスキルを磨き上げていった。
『Los Angeles Times』の取材に応じた御年56歳のDr. Dreは、「本当に奇妙なことなんだよ。俺は高血圧になったことがないし、普段から健康には常に気を使っている。でも黒人男性は何かしらの理由で高血圧になりやすいようで、まさか俺がなるとは思ってなかった。だが今は、そのおかげで気を付けて生活しているよ。全ての黒人男性は、自分の血圧に問題がないか確認するべきだと思う。俺はこれからも健康で長生きしたいと願うよ。素晴らしい気分だ」と、倒れたことをきっかけに改めて自分の身体と向き合うようになったと同時に、彼と同じルーツを持つ人々に対するアドバイスも残している。
今年1月24日(日)に急逝した〈MISTERGENTLEMAN(ミスター・ジェントルマン)〉のデザイナー オオスミタケシ。『HYPEBEAST』の読者の中で、彼が伝説のラップ・グループ SHAKKAZOMBIE(シャカゾンビ)のメンバーだったことをご存知の方はどれくらいいるだろうか。彼がかつてBIG-Oを名乗り、1990年代から2000年代初頭にかけて日本のヒップホップシーンをリードしたラッパーの1人だった事実は、より多くの人が知るべきだろう。そんなファッション業界だけでなく、ヒップホップシーンでもカリスマ的な存在として活躍したBIG-Oにリスペクトを捧げるトリビュートEP『BIG-O DA ULTIMATE』が6月末に配信されることが決定した。
本EPには、世代やジャンルの垣根を超えたアーティストたちがBIG-Oのために集結し、SHAKKAZOMBIEの名曲の数々を新たにリメイク。6月末のリリースに先駆け、彼の誕生日である5月30日(日)に“空を取り戻した日(DJ WATARAI REMIX)feat. IGNITION MAN,JON-E”が先行配信される。さらに、6月9日(水)に“虹(Chaki Zulu REMIX)”、6月16日(水)には“5o tight So deeP – 5lack feat. PUNPEE & SHAKKAZOMBIE”を配信リリース。そして先述の3曲を含む全6曲を収録したのが本トリビュートEPとなる。
Yeは2020年から時折自身のツイートに“#WESTDAYEVER”という謎のハッシュタグを添えていたのだが、これが記念すべき10枚目のソロアルバム『WestDayEver』のタイトルだったことが判明。というのも彼のマネージャー Buが、〈GAP〉の『Instagram』に「WestDayEver. Album OTW!」と書き込んでいたことからその存在が明らかになったのだが、肝心なリリース情報に関して一切不明。前作『Jesus Is King』はタイトル変更および再三の発売延期により当初の予定から1年以上も遅れてリリースされたという嫌な実績があるだけに、Yeファンの皆様は2022年中にリリースされるくらいの心構えのほうがよいだろう。