January 9, 2025

Hip-Hop史に残る大物同士のBeef(確執)も、時が経てば和解に至ることは珍しくない。Jay-ZとNas、そして近年ではDrakeとKendrick Lamarも、長年の因縁の末に歩み寄りを見せてきた。そのリストに新たに名を連ねたのが、LupeFiascoとKid Cudiだ。

2人はKanye Westがシカゴで行った2度目の「Homecoming」公演のバックステージで顔を合わせ、写真を撮り、言葉を交わした。KanyeにとってシカゴはHip-Hopキャリアの出発点にあたる地元であり、こうした地元凱旋公演は毎回、往年の顔ぶれが集まる同窓会的な場になりやすい。

2人の確執の始まりは、意外にもシンプルな出来事だった。2014年、LupeFiascoはファン向けに1本500ドルでオーダーメイドのバース(パーソナライズされたラップの一節)を販売するサービスを始めた。今でいうCameoの有料メッセージ動画のラップ版のような仕組みだ。

これに対しKid Cudiは、ファンからお金を取ってバースを売ることはファンの足元を見た行為だとして疑問を呈した。LupeFiascoはこの件について直接話し合おうとしたが、Cudiはその都度会話を避け続けたという。この「無視された」という感覚が積み重なり、数年におよぶ確執へと発展。LupeFiascoが一時は実力行使をちらつかせる場面もあったとされるが、Hip-Hopの対立といえば定番の「ディストラック」の応酬には至らなかった。

関係修復のきっかけを作ったのはCudiだった。2024年、彼は自らの非を公に認め、次のように語っている。

「自分が間違っていたのはわかってる。あんなクソみたいなことをするべきじゃなかったと、彼にも伝えたんだ」

Cudiは、当時LupeFiascoを批判した本当の理由はファンを思ってのことではなく、自身の嫉妬心にあったと振り返っている。また、2人の間を取り持った共通の知人「IBN」の存在にも触れ、Black community、とりわけ同じ業界で活動するBlackの男性同士が無用な対立を続けるべきではないという思いを口にしたという。

今回のシカゴでの再会は、その和解が実を結んだ瞬間と言えそうだ。ディストラックも公式な和解宣言もないまま燻り続けていたBeefが、1枚の写真によって静かに幕を閉じた。

2005年8月30日、イリノイ州シカゴ出身のKanye Westがセカンドアルバム『Late Registration』をRoc-A-Fella/Def Jamからリリースした。前作『The College Dropout』(2004年)でプロデューサーからラッパーへの転身を果たしたKanyeが、次なる高みを目指して制作した本作は、フィルムスコアの作曲家Jon Brionとの共同プロデュースという異色の布陣によって生み出されたスケールの大きな傑作だ。1977年6月8日生まれのKanyeにとってのセカンドアルバムであり、彼の音楽的野心が初めて完全に花開いた作品といえる。

名盤たる理由

『Late Registration』は2005年のグラミー賞で「Album of the Year」を含む3部門を受賞し、全米ビルボード200で初登場1位を獲得した。商業的な成功のみならず、批評家からも「世代を代表する傑作」と賞賛を受けた本作は、Hip-Hopの可能性を根底から拡張した作品だ。

Jon Brionとのコラボレーションによって生まれたオーケストラルなアレンジは、それまでのHip-Hopの文法では考えられないほどの映画的スケールをもたらした。「Diamonds from Sierra Leone」では西アフリカのダイヤモンド採掘における児童労働問題を告発し、「Gone」ではOtis Reddingのサンプルを大胆に再解釈。「Gold Digger」はRay Charlesの「I Got a Woman」を下敷きにしたサンプリングでジェイミー・フォックスをフィーチャーし、10週連続で全米シングルチャート1位を記録した。ローリング・ストーン誌の「500 Greatest Albums of All Time」でも高く評価されている本作は、Kanyeが単なる「ビートメーカーがラップをやっている」存在ではなく、ポップカルチャー全体を俯瞰する才能であることを証明した。

2026年8月30日でリリースから21周年を迎える。

▶︎ Kanye West – “Gold Digger” ft. Jamie Foxx(2005)

Hype Williams監督によるMV。Ray Charlesの楽曲を下敷きにしたキャッチーなフックとジェイミー・フォックスの熱唱が融合したこの曲は、全米シングルチャートで10週1位を達成した。ピンナップ誌風のビジュアルが批評的論争を呼んだが、商業的には前年のヒット「Jesus Walks」を超えるKanyeの最大のヒット曲となった。

▶︎ Kanye West – “Diamonds from Sierra Leone”(2005)

シエラレオネの紛争ダイヤモンドをテーマにした社会派シングル。シャイニーなシンセとフルオーケストラが合わさったドラマティックなビートの上に、消費社会と紛争の連鎖を問う重いメッセージが乗る。Kanyeがエンターテイメントと社会批評の両立を目指したことが如実に表れた一曲で、本作の深みを象徴するトラックだ。

1996年8月27日、ニューヨークに偏重していたHip-Hopの地図を塗り替える一枚がアトランタから届いた。OutKast——André 3000(アンドレ・ベンジャミン)とBig Boi(アントワン・パットン)によるデュオ——のセカンドアルバム『ATLiens』だ。LaFace/Aristaからリリースされたこの作品は初週でビルボード200の2位を獲得し、のちにプラチナ認定を受けた。1992年にジョージア州アトランタのノース・クレイトン高校で出会った二人は、当初「2 Shades Deep」と名乗っていたが、間もなくOutKastとして活動を開始。1994年のデビューアルバム『Southernplayalisticadillacmuzik』でグラミー賞の「Best New Rap Group」を受賞し、その直後に制作に着手したのが本作だ。

名盤たる理由

1995年のソース・アワードでアトランタ出身のOutKastがベスト・ニューアーティスト賞を受賞した際、会場のニューヨーク勢からブーイングが飛んだ。「サウスはHip-Hopじゃない」という偏見が露わになったその瞬間、André 3000はマイクを握り締め「サウスはなにかを言わなければならない」と宣言した。その答えとして生まれたのが『ATLiens』だ。

本作でOutKastはデビュー作のG-ファンク的なサウスHip-Hopから大きく踏み出し、ジャズ・ファンク・レゲエを独自に融合させた宇宙的でオーガニックなサウンドを確立した。Organized Noizeとともに共同プロデュースし、ニューヨークのトレンドを追わない独自路線が批評家から高い評価を受けた。収録曲「Elevators (Me & You)」は全米チャートに6週間トップ10入りを果たし、「ATLiens」がセカンドシングルとして続いた。ローリング・ストーン誌の「500 Greatest Albums of All Time」(2020年改訂版)でも評価される本作は、サウス・ラップという概念を世界に知らしめた歴史的マイルストーンだ。

2026年8月27日でリリースから30周年を迎える。

▶︎ OutKast – “ATLiens”(1996)

アルバムのタイトルトラックにして第2シングル。宇宙をテーマにした独特のビジュアルと、アンドレとビッグ・ボイが交互にラップするタイトなマイクリレーが印象的だ。アトランタ(ATL)とエイリアン(Aliens)を掛け合わせたタイトルが示すように、既存のHip-Hopの文法に収まらない異形の存在としてのOutKastのアイデンティティが凝縮されている。

▶︎ OutKast – “Elevators (Me & You)”(1996)

アルバムからのファースト・シングル。ゆったりとしたファンク・ループの上に、幼少期の貧困から音楽的成功への道のりをパーソナルに綴ったリリックが乗る。ビルボードのR&Bチャートで1位を獲得し、OutKastを全米規模のアクトへと押し上げた一曲だ。シンプルなビデオながら、その誠実さとリリックの深さは今も多くのファンを惹きつけてやまない。

1987年8月27日、ニューヨーク・ブロンクスのハイブリッジ・ホームズ・プロジェクト付近の路上で、一発の銃弾がHip-Hopの歴史を変えた。Boogie Down Productions(BDP)のDJ兼プロデューサー、DJ Scott La Rock(本名:スコット・モンロー・スターリング)が、仲間の仲裁に入った末に射殺された。享年25歳。1962年3月2日、ニューヨーク州ブロンクス生まれ。バスケットボール奨学生としてキャスルトン州立大学を卒業後、ブロンクスのフランクリン・メンズ・シェルターで社会福祉士として働く傍ら、クラブDJとして活動していた。そのシェルターで出会ったのが、ホームレス状態にあったKRS-Oneだった。

1987年3月、BDPはデビューアルバム『Criminal Minded』をB-Boy Recordsからリリースした。スコット・ラ・ロックのプロデュースによるこのアルバムは、ダンスホール・レゲエの影響を受けたスパースで攻撃的なビートと、KRS-Oneのストリートの現実を刻み込んだリリックが融合した作品だ。ローリング・ストーン誌の「500 Greatest Albums of All Time」にも名を連ねる歴史的名盤であり、のちのギャングスタ・ラップの礎を築いたとも評される。

BDPはジュース・クルーとの「ブリッジ・ウォーズ」でも知られる。「South Bronx」「The Bridge Is Over」といった楽曲でMC Shanとマーリー・マールを痛烈にディスしたこの抗争は、Hip-Hop史上初の本格的なビーフとして記録されている。

その死後、KRS-Oneはスコット・ラ・ロックの殺害を直接の契機として「Stop the Violence Movement」を発足。1989年にはKRS-One、MC Lyte、Heavy D.、D-Niceらによる「Self-Destruction」をリリースし、収益を全額黒人コミュニティ支援団体に寄付した。ブロンクスの交差点には「DJ Scott La Rock Boulevard」と名付けられた通りが残り、彼の名は今も地域に刻まれている。

2026年8月27日は命日から39年にあたる。

▶︎ Boogie Down Productions – “South Bronx”(1986)

DJ Scott La Rockがプロデュースし、Hip-Hopの発祥地をクイーンズブリッジではなくサウス・ブロンクスであると宣言した歴史的ディストラック。MC Shanとジュース・クルーへの対抗として制作されたこの曲は、ブリッジ・ウォーズの火蓋を切ったと同時に、コンプレックス誌のHip-Hop史上最高のディス曲ランキングで9位に選出されている。スコット・ラ・ロックの才能が存分に発揮された一曲だ。

▶︎ Boogie Down Productions – “My Philosophy”(1988)

スコット・ラ・ロックの死後にリリースされたBDP第2作『By All Means Necessary』からの代表曲。マルコムXを彷彿させるアルバムジャケットとともに、KRS-Oneがスコット・ラ・ロックの死と向き合いながら「教育者」としての新たな道を宣言した一曲だ。この曲の成功はすなわち、スコット・ラ・ロックが遺した音楽の土台なくしては生まれ得なかったものだ。

1966年8月22日、ニューヨーク州ブルックリンのベッド=ステイに、ゲイリー・ガイス・プリンスという名の男が生まれた。世界は彼をGZA、あるいはThe Geniusとして知ることになる。幼い頃から親戚であるRZAやOl’ Dirty Bastardと一緒に育ち、1980年代中頃からThe Geniusの名でラップキャリアをスタート。1993年にRZAがWu-Tang Clanを結成するにあたり、その中核メンバーとして参画した。グループ内で最も年長であり、その知性的で計算されたリリックスタイルは”The Genius”の異名をそのまま体現している。

GZAの本領が発揮されたのは、1995年にリリースしたソロアルバム『Liquid Swords』だ。RZAによる映画的でダークなプロダクションの上に、GZAの刃のように研ぎ澄まされた言葉が乗るこの作品は、批評家から「Hip-Hop史上最高のソロアルバムの一つ」と評される傑作だ。ローリング・ストーン誌の「500 Greatest Albums of All Time」、ピッチフォークの「The 50 Best Hip Hop Albums」など数多くのランキングに名を連ねる。

Wu-Tang Clanの全員がリリカルに優れた個性を持つ中で、GZAは最も言葉を削ぎ落とすアプローチを選ぶ。「少ない言葉で最大の意味を伝える」というその哲学は、RZAをして「Wu-Tangで最もスキルフルなラッパー」と言わしめた。また近年はマサチューセッツ工科大学(MIT)やハーバード大学で量子物理学に関する楽曲プロジェクト「Liquid Swords」(アルバムとは別の楽曲)を手がけるなど、科学とHip-Hopを融合させた活動でも知られる。

2026年8月22日、GZAは60歳の大台を迎える。

▶︎ GZA – “Liquid Swords”(1995)

同名アルバムのタイトルトラックにして象徴的な一曲。日本の将棋のイメージをサンプルとして織り込んだRZAのビートの上で、GZAが研ぎ澄まされたリリックを次々と繰り出すMVは、90年代Hip-Hopのダークで哲学的な美学を体現している。アルバム同様、時代を超えたクラシックとして語り継がれる。

▶︎ GZA ft. Method Man – “Shadowboxin'”(1995)

『Liquid Swords』屈指の人気トラック。Method Manをフィーチャーし、二人のMCが互いのラップスキルを競い合うように応酬する構成が圧巻だ。Wu-Tang特有の武道哲学と街の論理が溶け合った一曲であり、GZAとMethod Manというコンビが生み出した最高傑作の一つと称されている。