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1960年8月1日、ニューヨーク州ロングアイランドに、カールトン・ダグラス・リドンホールという名の男が生まれた。世界はのちに彼をChuck Dという名で知ることになる。Public Enemyのフロントマンにして、Hip-Hopを政治的な声の器へと変えた革命家だ。ロングアイランドのルーズベルト出身。アデルフィ大学でグラフィックデザインを学ぶかたわらDJとしてキャリアをスタートさせ、1987年にFlavor Flav、Terminator X、DJ Lord、S1W、Professor Griff、ザ・ボム・スクワッドとともにPublic Enemyを結成した。

Public Enemyが登場した1980年代後半のアメリカは、ロナルド・レーガン政権が進める新自由主義政策の下で、黒人コミュニティが経済的・社会的に追い詰められていた時代だった。Chuck Dはそのリアルを、ラジオのアナウンサーばりの重厚な低音ボイスで容赦なくラップに刻み込んだ。

1988年リリースのセカンドアルバム『It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back』は、Hip-Hop界における政治的表現の到達点として、ローリング・ストーン誌「500 Greatest Albums of All Time」にも名を連ねる金字塔だ。続く1990年の『Fear of a Black Planet』に収録された「Fight the Power」は、スパイク・リー監督の映画『Do the Right Thing』の主題歌として制作され、公民権運動の精神をHip-Hopで引き継ぐアンセムとして今も世界中で演奏され続けている。

Chuck Dはまた、1988年には「Self-Destruction」プロジェクトでStop the Violence Movementを牽引。KRS-One、MC Lyte、Heavy D.らと連名で黒人コミュニティ内の暴力に反対する声を上げ、収益を全額ナショナル・アーバン・リーグに寄付した。ラッパーであると同時に活動家であり、思想家でもあった彼の存在は、Hip-Hopが単なるポップミュージックを超えた社会変革のツールであることを証明してきた。

2026年、Chuck Dは生誕66周年を迎える。

▶︎ Public Enemy – “Fight the Power”(1989)

スパイク・リーが監督したこのMVは、ブルックリンの街頭を舞台にした大規模なデモ行進と、Chuck Dの激烈なラップを交錯させた映像詩だ。エルヴィス・プレスリーやジョン・ウェインを名指しで批判するリリックは当時大きな議論を巻き起こし、ローリング・ストーン誌の「500 Greatest Songs of All Time」でも高く評価された。Public Enemy最大の代表曲にして、Hip-Hop史において永遠に語り継がれる一曲。

▶︎ Public Enemy – “Don’t Believe the Hype”(1988)

『It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back』収録のシングル。メディアのプロパガンダと情報操作に対する鋭い批判を込めた一曲で、チャートでの成功と批評的な絶賛を同時に勝ち取った。ボム・スクワッドによるサンプルを幾重にも重ねたビートは、当時のHip-Hop制作の常識を塗り替えるものだった。

1962年7月29日、DJ KRUSH(本名:石井秀明)は東京で生まれた。1980年代前半に映画”Wild Style”に衝撃を受けたことがきっかけでヒップホップDJの道に進み、1980年代後半には原宿のホコ天(歩行者天国)でブレイクダンサーたちと共に活動。そこでMUROやDJ GOと出会い、ヒップホップクルー B-FRESH3、そして1MC2DJのユニットKRUSH POSSEを結成した。

KRUSH POSSEが1992年に解散した後、DJ KRUSHは一人でも表現できるヒップホップを追求し、ソロとしての活動を本格化させる。1994年に1st アルバム”KRUSH”をリリース。続いて同年、イギリスの独立系レーベルMo’ Waxから2nd アルバム”Strictly Turntablized”を発表すると、ヨーロッパを中心に大きな話題を呼び、当時アメリカ西海岸でDJ Shadowが起こしていたムーブメントと並んで「トリップホップ/アブストラクト・ヒップホップ」という新たなジャンルを象徴する存在となった。

その後も”MEISO(迷走)”(1995年)、”MiLight-未来”(1996年)、近藤等則とのコラボレーション作”記憶 ~KI-OKU~”(1996年)など、国内外のラッパーやミュージシャンを迎えながら独自のサウンドを追求し続けた。1995年にはDJ YAS、DJ KENSEI、DJ HAZU、DJ HIDEとともにDJ/プロデューサー集団 KEMURI PRODUCTIONS にも参加。ターンテーブルを単なる再生機器ではなく「楽器」として扱うDJ KRUSHのスタイルは、日本のヒップホップシーンのみならず、世界中のクラブシーン、フェスティバルで高い評価を獲得し続けている。

2017年にはソロデビュー25周年を記念して、自身初となる日本語ラップのみで構成されたアルバム”軌跡”をリリース。RINO LATINA II、5lack、OMSB、R-指定、呂布カルマ、志人、Meiso、チプルソといった世代を超えたラッパーたちを迎え、長年temptしていた「日本語ラップアルバム」という夢を実現させた。

2026年でDJ KRUSHは64歳になる。

▶︎”Kemuri” 1994年のアルバム”Strictly Turntablized”に収録された一曲で、同年にDJ Shadowとのスプリット12インチとしてもリリースされた。重く沈み込むようなビートと、和を感じさせるサンプルワークが特徴的で、DJ KRUSHの国際的なブレイクスルーを象徴する代表曲の一つとなっている。

▶︎”Song for John Walker” feat. Anticon 2002年のアルバム”The Message at the Depth”に収録された一曲で、アメリカのアンダーグラウンド・ヒップホップ・コレクティブAnticonのメンバーたちをフィーチャー。アフガニスタンでタリバン側として拘束されたアメリカ人ジョン・ウォーカー・リンドの事件を題材に、9.11後のアメリカ社会への批評的な視点を織り込んだ重厚な一曲で、DJ KRUSHの国際的なコラボレーションの広がりを示す楽曲だ。

Wu-Tang Clanのメンバーとして、そして唯一無二の存在としてHip-Hopシーンに強烈な爪痕を残したOl’ Dirty Bastard(通称ODB)。彼の名を冠した通りが、2026年7月25日、ブルックリンに正式に誕生した。

今回の式典は、ODBのエステート(遺産管理団体)とブルックリン市議会議員のChi Ossé氏の共同主催によって実現したもの。舞台となったのは、ODBが育ったベッドスタイ地区を走るパットナム・アベニューの一角で、この区間は今後「ODB Jones Way」という愛称で呼ばれることになる。

ニューヨーク市では、地域にゆかりのある著名人や功労者を称えるため、既存の通りに公式の住所とは別の「名誉通り名」を追加する制度がある。通り名の看板だけが新設され、地図上の正式名称や郵便住所は変わらないのが特徴で、地元コミュニティの記憶や誇りを可視化する目的で行われることが多い。今回のODBの通りも、市議会議員の後押しと地域住民の合意を経て実現した。

ODBの実弟にあたるRamsey Jonesは、看板が設置された場所についてこう明かしている。この一角は、フランクリン・アベニューとパットナム・アベニューが交わる角にあたり、なんと2人の祖母が今も暮らす思い出の地だという。すでにこの一帯には、ODBのデビューアルバムのジャケットを描いた壁画も存在しており、地元では以前からファンの間で「聖地」として親しまれてきた場所でもある。

本名Russell Tyrone Jonesとしてブルックリンのフォートグリーンで生まれたODBは、歌うようなラップと荒々しいアドリブを織り交ぜた独自のスタイルで、Wu-Tang Clanの中でも異彩を放つ存在だった。予測不能なライブパフォーマンスと破天荒なキャラクターは、彼を90年代Hip-Hopを象徴するアイコンの一人に押し上げた。

2004年11月13日、ODBはマンハッタンのレコーディングスタジオで倒れ、そのままこの世を去った。検視官による調べでは、コカインと鎮痛薬トラマドールの過剰摂取による事故死と結論づけられている。彼の36歳の誕生日を、わずか2日後に控えたタイミングでの出来事だった。

今回の通り名の授与により、ODBはThe Notorious B.I.G.、Phife Dawg、Big Pun、MF DOOMといった、すでに地元ニューヨークで通り名を持つ先人たちの列に加わることになった。彼らはいずれも、若くしてシーンを去りながらも、今なお多くのファンやアーティストに影響を与え続けているレジェンドたちだ。

さらに、ODBが所属したWu-Tang Clan自体も、拠点であったスタテンアイランドの一角が「Wu-Tang Clan District」として公式に指定されており、グループの功績はニューヨーク市の街並みそのものに刻み込まれている。ブルックリンからスタテンアイランドまで、Wu-Tangのレガシーは今もこの街の記憶として生き続けている。

2006年7月25日、ブルックリン出身のハードコア・ヒップホップ・デュオ M.O.P.(Mash Out Posse、Lil’ FameとBilly Danzeによる2人組)のコンピレーションアルバム”Ghetto Warfare”が、インディーレーベルのFull Clip Mediaからリリースされた。本作に収録された楽曲群は、実は2001年から2003年、彼らがJay-ZのRoc-A-Fella Recordsに在籍していた時期に録音されたものであり、長らくお蔵入りとなっていた音源を集めたアーカイブ的な一作となっている。

M.O.P.は1990年代から、荒々しく叫ぶようなフロウとストリートのリアリティを描いたハードコアなスタイルでアンダーグラウンドの支持を集めてきたデュオだ。2000年のアルバム”Warriorz”に収録された”Ante Up (Robbin Hoodz Theory)”は彼らの最大のブレイクスルーとなり、UK Singles Chartで7位を記録するなど国際的な成功を収めた。

“Ghetto Warfare”は、その勢いのあったRoc-A-Fella時代に録音されながら、レーベルの方向性の変化などにより正式な発売が見送られていた楽曲を集めた作品だ。本作にはJay-Z、Memphis Bleek、State Propertyをフィーチャーした”Roc La Familia”や、Capone-N-Noreagaが参加した”Stompdashitoutu”など、当時のRoc-A-Familyの豪華な人脈を感じさせる楽曲が収められている。商業的なヒットを狙ったものではないが、M.O.P.特有の荒々しいエネルギーと、2000年代前半のニューヨークのストリートサウンドの空気感をそのまま閉じ込めたタイムカプセル的な一作として、コアなファンの間で長く語り継がれている。

2026年で本作はリリースから20周年を迎える。

▶︎”Ante Up (Robbin Hoodz Theory)” 2000年のアルバム”Warriorz”からのシングルで、M.O.P.最大のヒット曲。Little X監督によるミュージックビデオは、ブルックリンのHerbert Von King Parkでのライブパフォーマンスを中心に構成されており、Sam & Daveの楽曲をサンプリングした荒々しいビートに乗せたBilly DanzeとLil’ Fameの掛け合いが圧巻だ。「Ante Up, take your shirt off」という強烈なフックは、その後数多くの映画やCMにも使用されるほどの定番曲となった。

▶︎”Cold As Ice” “Warriorz”からの2枚目のシングルで、”Ante Up”に続くM.O.P.の代表曲。UK Singles Chartで4位を記録し、ヨーロッパでも高い人気を獲得した。M.O.P.特有の緊迫感のあるビートと、Billy DanzeとLil’ Fameによる攻撃的なライミングが詰め込まれた一曲で、Busta RhymesやRemy Maらをフィーチャーしたリミックスも制作されるなど、彼らのキャリアを代表する楽曲の一つとなっている。

1999年7月20日、Pop Smoke(本名Bashar Barakah Jackson)はニューヨークのブルックリンで生まれた。2010年代後半、彼はイギリス発のUK Drillのサウンドをニューヨークのストリートに持ち込み、瞬く間に Brooklyn Drill というムーブメントの中心人物となった。その重く沈み込むようなビートと、低く威圧的な声質によるフロウは、それまでのニューヨーク・ヒップホップのサウンドを一変させた。

Pop Smokeは2019年のミックステープ”Meet the Woo”で頭角を現し、”Welcome to the Party”や”Dior”といった楽曲が爆発的にヒット。”Dior”はNew York Timesをはじめとする複数のメディアから「2019年最高のニューヨークのアンセム」と評され、彼の代表曲となった。続く2作目のミックステープ”Meet the Woo 2″でさらに勢いを増した彼は、メインストリームへの足がかりを着実に築いていった。

しかし2020年2月19日、Pop Smokeはロサンゼルスで命を落とす。デビュースタジオアルバムとなる”Shoot for the Stars, Aim for the Moon”は彼の死後にリリースされ、Billboard 200で初登場7位を記録。Quavo、DaBaby、Futureら豪華アーティストが参加したこの作品は、Brooklyn Drillをアンダーグラウンドからメインストリームへと押し上げる決定打となった。彼の死は早すぎる悲劇であったが、彼が確立したサウンドはその後のニューヨークのドリル・シーンの礎として今も生き続けている。

2026年でPop Smokeは生誕27年になる。

▶︎”Dior” 2019年にリリースされたこの曲は、Pop Smokeのシグネチャーソングとして知られている。808Meloによる重厚なドリルサウンドの上に乗る彼の低音ボイスが印象的で、ニューヨークのストリートを舞台にしたミュージックビデオは、彼が確立した「Brooklyn Drill」の世界観を象徴する映像作品となっている。

▶︎”What You Know Bout Love” Pop Smokeの死後にリリースされたアルバム”Shoot for the Stars, Aim for the Moon”からのシングルで、Ginuwineの楽曲をサンプリングしたR&B色の強い一曲。Billboard Hot 100で9位を記録し、彼の持つメロディアスな側面を世に示した。2020年12月に公開されたミュージックビデオは、未公開のスタジオ映像やプライベートな瞬間を編集したトリビュート的な内容となっており、彼の人柄が伝わる一本だ。