Akihiro Kozaki

1966年8月22日、ニューヨーク州ブルックリンのベッド=ステイに、ゲイリー・ガイス・プリンスという名の男が生まれた。世界は彼をGZA、あるいはThe Geniusとして知ることになる。幼い頃から親戚であるRZAやOl’ Dirty Bastardと一緒に育ち、1980年代中頃からThe Geniusの名でラップキャリアをスタート。1993年にRZAがWu-Tang Clanを結成するにあたり、その中核メンバーとして参画した。グループ内で最も年長であり、その知性的で計算されたリリックスタイルは”The Genius”の異名をそのまま体現している。

GZAの本領が発揮されたのは、1995年にリリースしたソロアルバム『Liquid Swords』だ。RZAによる映画的でダークなプロダクションの上に、GZAの刃のように研ぎ澄まされた言葉が乗るこの作品は、批評家から「Hip-Hop史上最高のソロアルバムの一つ」と評される傑作だ。ローリング・ストーン誌の「500 Greatest Albums of All Time」、ピッチフォークの「The 50 Best Hip Hop Albums」など数多くのランキングに名を連ねる。

Wu-Tang Clanの全員がリリカルに優れた個性を持つ中で、GZAは最も言葉を削ぎ落とすアプローチを選ぶ。「少ない言葉で最大の意味を伝える」というその哲学は、RZAをして「Wu-Tangで最もスキルフルなラッパー」と言わしめた。また近年はマサチューセッツ工科大学(MIT)やハーバード大学で量子物理学に関する楽曲プロジェクト「Liquid Swords」(アルバムとは別の楽曲)を手がけるなど、科学とHip-Hopを融合させた活動でも知られる。

2026年8月22日、GZAは60歳の大台を迎える。

▶︎ GZA – “Liquid Swords”(1995)

同名アルバムのタイトルトラックにして象徴的な一曲。日本の将棋のイメージをサンプルとして織り込んだRZAのビートの上で、GZAが研ぎ澄まされたリリックを次々と繰り出すMVは、90年代Hip-Hopのダークで哲学的な美学を体現している。アルバム同様、時代を超えたクラシックとして語り継がれる。

▶︎ GZA ft. Method Man – “Shadowboxin'”(1995)

『Liquid Swords』屈指の人気トラック。Method Manをフィーチャーし、二人のMCが互いのラップスキルを競い合うように応酬する構成が圧巻だ。Wu-Tang特有の武道哲学と街の論理が溶け合った一曲であり、GZAとMethod Manというコンビが生み出した最高傑作の一つと称されている。

1994年8月21日、日本語ラップの歴史を変えるシングルが届いた。EAST END×YURIの1stシングル「DA.YO.NE」だ。EAST END——GAKU-MC、ROCK-Tee、YOGGYの1MC+2DJによるHip-Hopグループ——と、東京パフォーマンスドール出身のポップシンガー、市井由理(YURI)が組んだユニットによるこの曲は、RHYMESTERのMummy-DとGAKU-MCが共同作詞し、YOGGYが作曲した。George Bensonの「Turn Your Love Around」をサンプリングしたキャッチーなトラックの上に、女子の日常会話とGAKU-MCの軽妙なラップが絡み合う、当時の日本のHip-Hopとしては異色のポップ・フレンドリーな一作だった。

「DA.YO.NE」のヒットは一夜にして訪れたわけではない。リリース当初、セールスは低調だった。転機をもたらしたのは北海道のラジオ局FM NORTH WAVEによるヘビーローテーションで、口コミで広まった人気が地方から全国へと波及し、翌1995年に入ってようやく全国規模のブレイクを迎えた。最終的にオリコン週間シングルチャートで最高7位に達し、日本語ラップ史上初となるミリオンセラー(101.8万枚)を記録。ギネスブックに「英語以外の言語によるラップCDの世界最高売上記録」として掲載された。

「DA.YO.NE」の歴史的意義は単なるセールスの数字にとどまらない。スチャダラパーと小沢健二の「今夜はブギー・バック」と並んで、日本の一般リスナーにラップ・Hip-Hopを認知させた二大楽曲の一つとして語り継がれている。EAST ENDはRHYMESTER、MELLOW YELLOWとともにHip-Hopコミュニティ「FUNKY GRAMMAR UNIT」を構成し、日本語ラップシーンの礎を築いた存在だ。「DA.YO.NE」は同年末の第46回NHK紅白歌合戦にも出場し、Hip-Hopが日本のメインストリームに踏み込んだ瞬間を象徴する一曲となった。

2026年8月21日でリリースから32周年を迎える。

▶︎ EAST END×YURI – “DA.YO.NE”(1994)

女子の恋愛あるあるトークとGAKU-MCのラップが微笑ましく絡み合うMV。「だよねー」というフックの口ずさみやすさが日本中の若者に響き、1994年という日本語ラップの黎明期にミリオンセラーという前人未到の記録を打ち立てた。時代を超えて愛される日本語ラップのオリジネイター的名曲だ。

1965年8月20日、ニューヨーク州ブルックリンに、ローレンス・クリスフェル・パーカーという名の男が生まれた。世界は彼をKRS-One、すなわち”Knowledge Reigns Supreme Over Nearly Everyone”(知識はほぼすべての人の上に君臨する)という名で知ることになる。ブルックスビル・ハイツで貧困の中に育ち、10代でホームレスとなりブロンクスのシェルターを転々とした。そのシェルターで出会ったのが、後に共同でBoogie Down Productionsを結成するDJ Scott La Rockだった。逆境がキャリアのスタートラインとなった男の物語は、Hip-Hopの本質そのものだ。

1987年、Boogie Down Productions(BDP)のデビューアルバム『Criminal Minded』をリリース。同年8月27日にDJ Scott La Rockが銃撃により命を落とすという悲劇に見舞われたものの、KRS-Oneはそこで折れることなく方向転換を図り、よりコンシャスでエデュケーショナルなHip-Hopへと舵を切った。「Stop the Violence Movement」を立ち上げ、Hip-Hopを暴力への反省と社会変革のツールとして再定義した。

1993年のソロアルバム『Return of the Boom Bap』は、ゴールデンエラ・Hip-Hopの金字塔の一つに数えられる。収録曲「Sound of da Police」は、「OFFICER」という言葉が「OVERSEER(奴隷監視人)」の短縮形であるという歴史的分析を通じて警察権力を批判し、今もアメリカの人種問題を論じる際に引用される。単なるラッパーを超え、大学での講演活動も精力的に行う”The Teacha”の異名はこの哲学から生まれた。

ローリング・ストーン誌の「Greatest MCs of All Time」リストにも名を連ね、グラミーやBETのライフタイム・アチーブメント賞など数々の栄誉を手にしてきたKRS-Oneは、2026年8月20日に61歳の誕生日を迎える。

▶︎ KRS-One – “Sound of da Police”(1993)

『Return of the Boom Bap』から生まれたKRS-One最大の代表曲の一つ。警察官(Officer)という言葉に奴隷制度の歴史を読み込んだリリックは、リリースから30年以上が経つ現在もブラック・ライブズ・マター運動の文脈で繰り返し参照される。シンプルかつ強烈なビートの上で、彼の知性が最大限に発揮された一曲だ。

▶︎ Boogie Down Productions – “My Philosophy”(1988)

Scott La Rock死去後、初のBDPアルバム『By All Means Necessary』収録のシングル。Hip-Hopとは何かを問い、自らの哲学を高らかに宣言するこの曲は、コンシャス・ラップの金字塔として後の世代のアーティストたちに多大な影響を与えた。アルバムジャケットは、マルコムXの有名な写真をオマージュした一枚だ。

1985年8月15日、カリフォルニア州ロサンゼルスのサウス・ロサンゼルスに、エルマイア・アスゲドム・ジョセフという名の男が生まれた。世界は彼をNipsey Hussleと呼ぶ。南ロサンゼルスのクレンショー地区で育ち、ティーンエイジャーの頃にギャング組織Rollin’ 60s Cripsに関与しながらも、独学で音楽制作とビジネスを学んでいった。2005年頃からミックステープのリリースを重ね、長きにわたって自立したインディペンデント・アーティストとして地道に歩み続けた男だ。

Nipsey Hussleの偉大さはラップのスキルにとどまらない。2013年、彼は1000枚限定の『Crenshaw』ミックステープを100ドルで販売するという前代未聞のビジネスモデルを打ち出し、Jay-Zが100枚を即座に購入したことで話題を呼んだ。これはHip-Hopにおける自立型エコノミーの先駆けとして高く評価されている。

2018年リリースの初メジャーアルバム『Victory Lap』はグラミー賞の「Best Rap Album」にノミネートされ、長年の独立した道のりへのご褒美のように批評と商業の両面で成功を収めた。しかし彼の真の遺産はクレンショー地区への還元にある。STEM教育施設への支援、地元ショッピングモールへの投資、地域の若者のためのビジネスレクチャーなど、自分が育った街を変えることに人生を賭けた。

2019年3月31日、Nipsey Hussleは自らの店の前で銃撃され、33歳という若さでこの世を去った。彼の死はロサンゼルスのみならず世界中のHip-Hopファンに深い悲しみをもたらし、バラク・オバマ元大統領も追悼文を寄せた。「ザ・マラソン・コンティニューズ」という彼の言葉は今なおアンセムとして生き続けている。

2026年は生誕41周年にあたる。

▶︎ Nipsey Hussle – “Racks in the Middle” ft. Roddy Ricch & Hit-Boy(2019)

死去の直前にリリースされた本曲は、2020年のグラミー賞「Best Rap Song」を受賞した。Roddy RicchとHit-Boyをフィーチャーし、インディペンデントな姿勢を保ちながら頂点へ至ったNipseyの確信に満ちたラップが光る。彼の遺作となったこのMVは、世界中のファンへの最後のメッセージとなった。

▶︎ Nipsey Hussle – “Double Up” ft. Belly & Dom Kennedy(2018)

『Victory Lap』収録曲。地元クレンショーの路上で撮影されたこのMVは、彼のルーツへの誇りとコミュニティへの愛着を真っ直ぐに映し出す。BellyとDom Kennedyとの三者鼎立のマイクリレーが心地よく、Nipseyの哲学が凝縮された一曲だ。

DJ Khaledが2019年に発表した楽曲「Higher」のミュージックビデオに登場したカスタムローライダーが、今週オークションに出品される。

出品されるのは、1959年式Chevrolet Impalaをベースにしたベビーブルーのローライダー。カリフォルニアで開催されるMecum Auctionsの「モントレー・セール」に出品され、事前予想落札額は17万5000ドルから22万5000ドル(約2600万円〜3300万円)、実際の落札額は6桁台後半にまで達すると見込まれている。

この車両は、「Higher」のミュージックビデオでNipsey HussleおよびJohn Legendとともに登場した一台。撮影が行われたのは、Nipsey Hussleが自身のアパレルブランドMarathon Clothingの店舗前で命を落とす2019年3月の、まさに直前だったとされる。この経緯もあって、単なる旧車という枠を超えた特別な意味を持つ一台となっている。

主なスペック

  • 283立方インチV8エンジン
  • Turbo Hydramatic 350トランスミッション
  • パワーステアリング / パワーブレーキ
  • アルミニウム製ラジエーター
  • トランク搭載バッテリー駆動のカスタム油圧サスペンション
  • Dayton製ワイヤーホイール / ホワイトウォールタイヤ
  • トライトーンのブルーインテリア
  • 「Public Enemy」LAカークラブのナンバープレート

最大の特徴は、車体を上下にリフト&バウンスさせるカスタム油圧サスペンションシステム。これはローライダー文化を象徴するギミックのひとつだ。

「Higher」は、Nipsey Hussleの死後にリリースされ、2020年のグラミー賞では最優秀ラップ/歌唱パフォーマンス賞を受賞した楽曲でもある。DJ Khaledはこの曲をNipsey Hussleの死からわずか数週間後に発表し、収益をNipsey Hussleの子どもたちに寄付。ミュージックビデオそのものも、結果的に故人へのトリビュートとしての意味合いを帯びることとなった。

今回のオークションはLot F120として出品され、会場での対面入札に加え、リモートでの入札にも対応している。